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2018年10月23日 (火)

スランプから脱出したようす

 モスクワから帰ってから約2週間が経つ。気持ちが軽い。向こうでいろんな人と出会い、元気が出た。PCAの同志がいる感じが心強かった。また、私を楽しみにくれている人がいることも感じ、これが大きな支えになった。行く前はともかく元気が出なかった。今から思えばあれはスランプという言葉がぴったりだ。時々海外に出るのは必要だな。

 思えば、国際PCAフォーラムを通して知り合った人たちのつながりは私の大きな財産である。それがFacebookを通してずっと続いている。

 今日は、センターの活動内容について書き足した。長年行っている「ワンデイ・ワイガヤの会」も再度始めてみようと思っている。またしばらく間が空いていた「育ち合う人間関係を学ぶ集い」も再スタートさせようと思っている。

センター活動内容


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2018年10月22日 (月)

モスクワ滞在最終日(10月10日)-生活の様子少々。心に残ったこと。

 いよいよ最終日。フライトは5時半なのでゆったりと出来た。

 ベニアの家で昼食をとり乾杯した後、空港へ。地下鉄ドモジェドボ駅から空港行きのバスがある。そこまで送っていただいた。駅まではバスの方が便利なのでそれで行く。空港行きのバスは86ルーブル。日本円にしたらなんと180円ぐらいだ。空港行きバスはどの国でも大抵高いのだがモスクワではこの料金だというのを知って欲しかったという。鉄道で行くと高い。確かにモスクワのバスは沢山の路線があり身近な足になっている。子どもの頃、大阪にあったトロリー・バス(架線から電気をとって走るバス)があるのも懐かしい。大きな国際空港は、シェラメチェボとドモジェドボ。前者の方が大きいが、後者も結構大きい。JALで直通で成田へ。しばしさようならモスクワ。また来たい。

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 ここで生活の様子を少し。今回、友人宅に泊まらせてもらい、毎日バス、地下鉄で中心部まで通った。日常生活を体験したのもおもしろかった。モスクワの地下鉄網もすごい。大きなエスカレーターも印象的。街はほんと落ち着いている。バランスがある感じなのだ。治安も悪くなさそうである。さすがに歩くのは速いし、席取りの要領はいいけど・・・。でも、アグレッシブでもない。

 お互いに譲り合う精神があり、随所にそれを見た。バス・カードを機械にかける必要があるのだが、そこまで遠い時、「じゃ、私がしてあげる」といってしてくれるレディ。スパシーバといったら恥ずかしそうにニコッとされるのが微笑ましい。老人には率先して席を譲る若い人たち。これは何度もその風景を見た。
私も譲っていただいた。次の駅だったのでいいよと言ったけど。お年寄りもありがとうといってその好意をそのまま受け入れる。日常の一コマになっているようなのだ。こころ温まる一時だった。もちろんそうではない若者もいるということだが、こう何度も見ると間違いなくそれは日常の一コマになのだろう。なんかいいな。

 ところで、もう一つ驚いたことがある。ベニアの家からは巨大な沸騰施設があり、これが以前から気になっていた。見かけは原子力発電所に見えるのだ。一度聞いてみようと思っていたがとうとうそれが何かわかった。

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 そもそもの質問は、このアパートの暖房システムはどうなっているのかと聞いたことから。お湯が室内を見事に循環していていつも温かい。私の滞在中にそれが動き出す音を聞いた。ちょうど季節の変わり目なのだ。とはいうものの、各アパートにそのボイラーが見つからない。そこで聞いてみたのだ。そうしたら、その施設が水を温める施設なのだ。そこで集中的に水を沸騰させ、そこから広域のパイプラインを通して街全体の各アパートに供給させる仕組みになっているという。シャワーお風呂のお湯もそこから。まさに広域暖房システムなのだ。燃料は、ガス、オイル、石炭だそうである。もちろん原子力ではない。ベニアの窓から見えるあの施設と白いものは水蒸気だったのだ。おかげで冬の室内はいつも24から25度に保たれている。最後に雪が降った昨年の滞在だったが、室内は暖かかった。外の寒さは厳しいからまさに必要不可欠のものなのだ。

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 ちなみにモスクワはほとんどがアパートだそうである。そういえば、あちこちに大きなアパート群が立ち並んでいる。私にはこれもモスクワの一光景に見える。バス、地下鉄を中心に人々が中心部から郊外へ移動している。それがモスクワの1日のようである。ベニアの住んでいるところもその一角である。周りは木々が黄葉と紅葉を初めて美しい。昨年はもう10日ほど遅かったからもっと黄葉が深かった。

 公園が完備されていて子どもが家族連れで遊んでいる。かわいい子ども達。そういえば、子ども全部が毛糸の帽子を被っていて、小さい女の子のものの多くは頭に耳が付いている。それがまたかわいい。よく可愛がられている印象を受けた。

 そんなこんなでした。ほんと落ち着いて、ゆったりと過ごさせていただいた。人々の温かみも感じた。ちなみにロシアの人たちはちょっとシャイ。ゆっくりと近づいていく。最初取っつきが悪いように感じる。しかし、慣れてきていよいよ気心が知れてくるとほんと心おきなく付き合っていける。純朴なところがある。どこか日本人に似ているところがある。今回でますますその感を強くした。思えば、私たちはロシアのことを本当に知らない。とても貴重
な時間を過ごさせていただいたと思っている。

(そして、大阪。こちらも雨でした。大阪城がよく見えました。)
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モスクワ観光、その3(10月9日), 日本画展、大学ゼミ参加

 いよいよモスクワ滞在も大詰め。

 ラダさんの案内でプーシキン美術館に行く。ちょうど江戸時代絵画展をしていた。浮世絵を中心とした版画が展示されていた。東京国立博物館、千葉市立博物館からの出展である。今年2018年は両政府による日本年に当たるらしい。カンファレンスで歌舞伎を見に行ったという人とあったりした。日本語が話せる若い人たち、日本食レストラン、今回の展示と日本-モスクワ接点旅行となったのも今回のおもしろいところだ。

 沢山の版画を見た。どれもこれも実物をみるのはこれが初めて。江戸時代当時の風俗や生活の様子が克明に描かれているのがおもしろかった。緻密な描写と線の面白さ、色使いなどやはり日本独自の美を改めて見たように思った。うまく言葉には言えないけれど、日本独自のものってやはりあるなと思った。あの石で出来た堅牢なプーシキン美術館に日本の版画があるのがなんともおもしろかった。そして、それを食い入るように時間をかけて見つめているモスクワの人たち。感慨深いものがあった。そう、私たちが思うよりもロシアと日本の交流は進んでいる。渡航も少しずつやりやすくなって来ている。とはいえ、未だロシアと日本には平和条約がかわされていない。つまり、まだ戦争中なのだ。状況は刻々変わっていっている。はやく私たちがもっと簡便に渡航できる日が来ることを願う。

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 その後は、昼食をとり、ラダさんのオフィスがあるアルバート通りに向かう。レストランではアメリカのロックがかかっていたのがなんとも。アルバート通りは高級な店が並ぶモスクワの中心通り。華やかな感じがする。ラダさんのオフィスはそこにあって、サイコセラピーや心理学のサービスを総合的に行っている団体である。子どものプレイセラピー室やグループワーク室がある。里親の支援活動も行っておられる。モスクワから少し離れたところにそのホームがある。その一端を感じさせていただいた。

 ラダさんとはここでお別れ。親が外交官で札幌に滞在されていて幼年時代をそこで過ごされた。日本語がやはりどこか頭の底に残っているという。また音楽もそのよう。日本食レストランで米米CLUBの曲がかかっていたが、これは聞き覚えがあるという。「むかし」という私の言葉に反応されたのもおもしろかった。日本でお会い出来る日を心待ちにしている。

 そうして、私はプチひとり旅。ベニアのゼミに6時から参加することになっているのでそこに行かなくてはならない。地図を見たら十分に歩ける距離なのでぼちぼち歩いて行くことにした。アルバート通りから中心部赤の広場へ。そして、そこから大学まで歩く。キタイ・ゴーラトという地下鉄の駅までたどりついたらそこからはよくわかっている。やはり1人で歩くと感じ方が違う。モスクワの風、臭い、人の雰囲気を直接的に感じられる。なんと落ち着いた平和な町だろう。ゆったりと居れる感じだ。人々の歩きは速いが決して人の目を射貫くという感じでもない。楽しかった。途中、要所を確認するために人に道を聞いた。1人は何かおっしゃって取り合ってくれなかった。どうやらRed Squareと英語で聞いたためだろう。「英語はわからないので」と言われたようであった。そこで、Kremlinと聞くことにした。これは正解だった。そうだといって指さしてくれた。そこから大学までの道「イリエンカ通り」を行く必要があるが、これも念のため聞いた。今回は、YESと言って指さしてくれた。「ダー」を期待したのだが。笑。するとすぐに地下鉄駅の入口が見える。そこを渡ると見慣れた光景。意気揚々と歩いた。青色のベラルーシ大使館が目印。そこを左に曲がる。ベニアが大学に着く時間より少し早く着いたので少し行き過ぎて公園があったのでそこに座って時間を潰す。これは私の好きなやり方。座っているとこれまたその地の雰囲気を感じておもしろい。住宅街。住んでいる人たちが集まって何かを話しているのがおもしろかった。

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(ムー・ムーという名前のレストラン。モーモーとも聞こえる。日本語と一緒でおもしろい。)
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 無事大学到着。ベニアが受付で声をかけてくれていたのでようこそという感じで通してくれた。大学では彼からの誘いでゼミに前半参加させてもらう。科目は、パーソンセンタード・アプローチだ。言葉は英語で行う。私の自己紹介をして、双方向コミュニケーションについて図解をしながら話した。これは何回も私のゼミで学生に話してきたが、英語で話すのは初めてだった。楽しかった。

 その後は自由なヤリトリ。援助者をカウンセラー、教師、上司、友人といろんな言葉でいったがそれはどうなのかという質問。もちろん、それらにすべて共通する援助的態度について言及したのがPCAだ。私メッセージについての質問。そうして、後は仏教についての質問。今回これについてあまり話すつもりはなかったのだが、学生が関心を持っている。Dharma-based Congruence, Dharma-based Unconditional Positive Regardという言葉が出てきてびっくりした。これは私が述べたものだ。昨年の話、はたまたキリルがロシア語で翻訳してくれたものに接しているのかな。さらに、チベット仏教に関心を持っている学生がいて、次々と仏教の話しになる。「科学と仏教との関係」、「私の行は」など突っ込んだ質問。「なもあみだぶつ」と答えたら、「Pure Landですね。チベット仏教でもなもあみだぶつは大事にします。」とか「モスクワでもなもあみだぶつはよく聞きます。」という意見も。仏教とPCAはどう関わるのかという大質問に私の体験を話したら、「Suffering never end」、つまり苦の姿という根本的なフレーズが返ってきたり。学生の高い関心にとても驚いた。一旦休憩をおいて、さらに質問タイムをベニアが設けてくれた。「PCAを通して世界各地を訪れているが各国によって違いはあるか」という質問。「基本的にはみなおなじというのが私の感想」。でも、ところによって受容を大事にする日本と、表現を大事にする面と違いはあるかもしれない」とも答えた。目が輝くのがおもしろかった。

 私の出番は終了。後は、ベニアの時間に戻す。彼は3条件特に無条件の肯定的配慮について議論を進めていた。やはり、ここでもみんな活発に話す。議論を楽しんでいる雰囲気。もちろんロシア語で通訳はなし。細かいところはわかないけれど、どうやら彼らは3条件の関係について話しているらしい。後で聞いたらそうだったという。PCAを学習するみんなが通る道だ。彼らは学び初めてまだ数ヶ月という。これから体験的な深まりが進んでいくことだろう。

 ということで、これまた内面的に盛りだくさんな一日であった。いよいよモスクワに慣れてきた私だった。地下鉄やバスの駅名アナウンスがよく聞き取れるようになって来た。文字も少しずつ読めるものが出てきていた。子どもの頃にひらがなが読めてきたときのおもしろさを思い出していた。


モスクワ観光、その2(10月8日)

 次の日月曜日は、ラダさんの案内で広場内の国立歴史博物館とワシリー大聖堂の内部を訪れる。モスクワ訪問はこれで3回目になり、その都度広場を訪れているが中に入るのはこれが初めてである。

 博物館は古代から現代までの生活品が中心に展示されている。近現代のものは皇帝のものが中心。現代まではちょっと時間の関係で行けなかった。大きな博物館。古代ではやはり日本と同じように、食器、石斧や矢尻などが展示されている。石臼はなかったような気がする。近代では特に皇帝の使っていた雪ぞりがおもしろかった。これは日本では本当に見ないものだから。子ども用のものもあったりする。食器、服装なども特徴があって珍しく、おもしろかった。

 次に、ワシリー大聖堂内を探訪する。これはほんと行ってよかった。この寺院、外から見るとどこか遊園地みたいなのだが中はまったく違う。迷路のように入り組んだ道に各部屋がある。上を仰ぐと神々しく光が差し込んでくる。イコンといわれる板に書いたキリストの絵が特徴的。荘厳な雰囲気である。どこかイスラム寺院も彷彿とさせるようでこれまた興味深い。スペイン・セビリアのメスキータを思い出させた。

 ここに祀られている聖ワシリーは、"Fools of God"あるいは"Foolishness for Christ"と呼ばれている。修道院に入り敬虔な信仰を続ける聖者もあるが市井に入って庶民と生活をしながら信仰活動を続け、伝道を続ける人がある。この聖ワシリーはそのような人であって、当時の皇帝イワン(雷帝の呼ばれる)に真実を伝えたと言われている。この聖堂はそのワシリーを尊び作られたとのことである。私 はこれを聞いたとき加古の教信沙弥のことを思い出した。まさにこれと同じである。これが現在ロシアの中心に据えられているといて精神の主柱になっているのである。中に入ってみるまでは本当にわからなかった。ロシアの人たちも中まで訪れ、この精神を知る人は少ないようでもある。ちなみに案内して下さったラダさんも2階まで足を踏み入れるのは初めてだったようでいたく感銘されていた。そこで歌われていた男性コーラスの美しいこと。美しい声、ハーモニー、時には力強く。私もいたく感銘した。


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 その後は、モスクワ川沿いに歩く。いよいよ気温はさがり口の筋肉がかじかんでいたのには驚いた。ちょうど夕陽がモスクワ中心部にさしかかる美しい一時でもあった。


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 そして、さらに歩き、日本食レストランへ。「いらっしゃいませ」以外の日本語は通じない。ラダさんにロシア語に翻訳してもらって注文をする。なんとも不思議な感じだった。アメリカで日本食レストランに初めていった時のことを思い出させた。寿司、どんぶりと心動かすものがあったのだが糖質の関係で私は焼肉ステーキを注文。ラダさんはお寿司を召し上がられていた。サーモンで巻いた巻き寿司はおもしろかった。「フィラデルフィア巻」と名付けられていたそうである。これは日本の伝統的なものかという質問。もちろん答えは「ニエット」である。笑。

 その後は地下鉄で友人宅に帰る。そうそう、今回初めて自分でバスに乗ったりした。いよいよモスクワ人になった気分である。文字がわからないのでついつい臆病になっていたのである。とうとう1人で行けるようになった。子どもから大人になった気分だ。


モスクワ観光、その1(10月7日)

 カンファレンスが終わり、後半は友人達に案内していただいてモスクワ市内観光。

 10月7日(日曜日)。コンサートに出かける。友人の招待。ボリショイ劇場内にベートーヴェン・ホールという小劇場があってそこでのオーケストラ・コンサート。プログラムはハイドン特集。ハイドンのユーモラスなエピソードを語りを交えて代表曲と共に綴るという趣向。当劇場の語り手が表情たっぷりに語りを展開する。もちろんロシア語はわからないのだがハイドンがユーモラスな人であったと知っているのでなんとなくその内容は想像出来た。これまたロシア語の表情がおもしろい。後で、友人に聞いたところ「驚愕」交響曲のエピソードなどそうだった。さらに知らなかったのは肖像画のこと。ハイドンの顔はどうもあんなようではなく無愛想だったようである。そこで興行師サロモンが一計を案じてドイツ美人を連れてきた。するとハイドンの表情は打って変わってにこやかになったそう。音楽室によく飾られているハイドンの肖像はその時のものだそうである。ちなみにロシア語ではハイドンのことをガイドンと呼ぶ。最初誰のことかわからなくておかしかった。

 曲は、オラトリオ「天地創造」序曲、チェロ協奏曲2番、「オックスフォード」交響曲である。表情とリズムたっぷりの演奏が楽しかった。プレイヤーも楽しそうに弾いている。

 雰囲気はすごく庶民的。みんなくつろいで聞いている。毎晩のごとくこんな楽しみがあるのもいいなと思う。ボリショイ本劇場にはいけなかったが、その雰囲気が味わえたのは楽しかった。招待してくれたベニアの心遣いがうれしかった。次回はもう少し事前に準備して本劇場のバレエでも見てみるかな。

 コンサートの前に、モスクワ中心部を散策。1年ぶりの赤の広場。ワシリー大聖堂、クレムリン、グム百貨店。本来の意味はスラブ語で「美しい広場」という意味らしい。今回はそこからもう少し歩いて、先ほどのサッカー・ワールド杯にちなんで新装された地域を歩く。場所そのものは遺跡のあった古いところらしいが新しい建物が出来て新名所となっているそうである。大会当時は各国からのサポーターで賑わったらしい。その通りの新しいレストランで食事。ウォツカ(ロシア語ではこう発音するらしい)を少量いただいた。味わい深かった。冷やして飲むのがいいそうで、出てきた時には冷たい。が、次第に体全体がぽかぽかしてくるのがなんともいい感じ。

 心も体も温まる一時でした。

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2018年10月20日 (土)

ロシアPCAカンファレンス2018 - 4/4、印象に残ったディスカッショングループ

 カンファレンス3日目続き。ワークショップ後、2. WAPCEPC in Vienna の報告。3. ディスカッション・グループ「私たちがお互いつながりあえるような組織を作るにはどうしたらよいか」。4. クロージング・グループと参加していった

 2. このアプローチに興味を持つ人たちの国際組織としてWAPCEPCがある。発題者のキリルが7月にウィーンで行われた大会とその組織について報告し、さらに彼の組織化への熱い思いが語られた。「1人1人にとってどんな組織が欲しいか」という彼の質問に私の思いを述べた。「1人1人が情報共有でき、つながりあえるような組織」というのが私の思い。現在フェイスブックを通して組織ではないがそれは実現している。彼にとっては興味深い瞬間だったようである。

 3.のディスカッション・グループ。
テーマは「私たちがお互いつながりあえるような組織を作るにはどうしたらよいか」。これは本当に印象に残った。今回は同時的な通訳はちょっと置いておいてその雰囲気と進行をその場にいながら体験してみることにした。皆がどんどん話していく。エネルギーが充満している。とはいえ、決してあなたが悪いという議論ではない。話を受け、質問もしながらどんどん発展させていく感じだ。話し合いを楽しんでいる雰囲気だ。その内に何人かがホワイトボードの前に立って論点を書き出して整理していく。これはおもしろい。それらが出てくると次第次第に、道筋が見えてきた感じで、笑顔がメンバーに出てくる。一仕事終えたようなスッキリした感じだ。ところどころ要点を通訳してもらっていたから大体の流れはわかった。すごくおもしろかった。ロシアの人たちの話し合いの風景を体験させてもらった感じだ。

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 これは確かにPCAのエッセンスだが、私にはロシアの風土も関係しているのではないかと思えた。ホワイトボードに書いてまとめていくあたりそれを思った。ロシア文化の中には話し合いながら物事を決めていく風習があるのではないか、教育にもそれが継承されているのではないかと思った。その後、友人にそれを言ったらなぜわかったのかと驚いた風で「そうだ」と言う。うれしそうだった。現在「ロシアの歴史」という本を読んでいるがそこにも民会といってそれが述べられている。その時の様子が絵になっている。このディスカッショングループと重なる感じがした。

 思えば、日本にも「寄り」という農村の風習がある。村の人たちが集まって延々数日間も情報を共有していく集まりだ。民俗学者の宮本常市がその時の様子を書き残している。明治以降の隣組制度とまったくことなる日本の風習がそこに語られている。どこかに共通点を見た私だった。PCAを受け入れながらその国独自のものが醸し出されて行っている。そんな印象を強くした。とてもよい経験をさせてもらった。

 そして、4. クロージング・グループ。それぞれの思いを共有していく。小さなバスケットボールを持ってそれをパスしていく形でとてもなごやかに進められていった。私も発言することにした。この時は日本語でまず話すことにした。なんとそれはどんどん通じていく感じで最後にはおーっという声が聞こえた。なんか深いところで通じ合った感じがしたのだ。英語で後で話すことにしていたがその必要は全くなかった。ベニアの「スパシーバ」という言葉はぴったり1つになる感じでとても感激した。そうして、もう一つ驚きが。そのメンバーの中に独学で日本語を勉強している人がいて、彼女が私の日本語をロシア語に訳してくれたのだ。「モスクワと相生とどちらがふるさとかわからなくなってきそう」と言う言葉がロシア語になっていることが直観的にわかった。感激!思わず足踏みと持っていたバスケットボールを叩いてその感激を表した。感無量。後で、ある1人からコメントをもらい、私が日本語で話しているときは私の舌を感じた、私そのものだったという。英語で話しているときはどこか違う感じがしていたという。
そういえば、今回日本語が話せる人と3人も出会ったのには驚いた。内1人はとても流暢な日本語だった。しぐさも日本人そっくりだった。

 こうしてカンファレンスは終了した。お互いハグをして別れた。本当にうれしい時間であった。私も力をもらった。招待してくれたベニアに感謝。
  

2018年10月19日 (金)

ロシアPCAカンファレンス2018-3/4、ワークショップ

 カンファレンス3日目。最終日になる。1.私の出番。ワークショップを行った。その後、2. WAPCEPC in Vienna の報告。3. 「私たちがお互いつながりあえるような組織を作るにはどうしたらよいか(山下訳)」というテーマのディスカッショングループ。4. クロージング・グループと参加していった。

1. 私のワークショップ。(説明文はこのページ参照)。

 3時間という十分な時間をもらったので、これを2つに分け、前半を私の自己紹介と質疑。後半を「如是我聞ゲーム」の紹介とした。

 自己紹介は、今の私の居所、経歴、ワークショップでとても惹かれたこと、PMPでの学習を中心に話、PCAの魅力、大事なテーマについて話をした。

 その後、質疑応答。日本でのPCAの現状についての質問が中心だった。大学でのコースについて質問がある。当時は大学外での学習が中心であり、現在は、それも継続しつつ臨床心理学コースが出来、そこで学べることになっていることについて話した。
PCAという学科はないことついても話した。このあたりの説明は難しい。日本の実状は入り組んでいて決して単線ではないからだ。

 また、PCAは今では日本で広がっているのか減少しているのかという質問。ロシアではまだまだマイナーだという実状があるし、それが広まって欲しいという願いが質問者にはあった。私の印象を聞かれたのでどちらかというと減少していると答えた。とはいうものの、そうも単純化出来ない。ということで、今、日本には全日本カウンセリング協議会と人間関係研究会の2つの団体があって、全国各地でワークショップが行われている。これはオープンで学びたい人は誰でも学べることになっているという事実を話した。質問者の感想を聞くと、「ロシアよりは広がっているなと思った」ということであった。そうなのだ1960年代からの長い歴史があると改めて思う。最初に入ってきたカウンセリング・アプローチはロジャーズであったことも話す。そういう意味では、臨床心理を学ぶ人たちの基盤になっていることは確かである。

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 休憩を挟んで、後半はエクササイズ。「フィードバック・ゲーム」、「如是我聞ゲーム」などと呼ばれている輪になって行う傾聴練習を紹介した。話し手がまず、隣の人に向かって話し、聞いた人はその理解を繰り返して確かめる。話し手が正確に理解してもらったと感じたらそのヤリトリはOK。次は、聞き手だった人が話し手となり、前のやりとりとは関係なく自分の言いたいことを隣の人に話す。聞いた人はそれを確認する。これを順番に繰り返していく。まさにキャッチボールだ。「心のキャッチボール・ゲーム」と呼んだ友人がいる。言い得て妙である。どんなゲームかをつかんでもらうためにまずは「色」という簡単なテーマを決めた。次は、「好きな食べ物」というテーマで行う。ひとつひとつ終わった後の感想を丁寧に聞く。そうして、いよいよ本番に入り、なんでもいいから言いたいことを隣の人に話すという順番で行う。これは、私がずっと行ってきたやり方である。ロシア語はわからないので通訳してもらおうかどうか悩んだが、理解してくれたかどうかを判断するのは話し手であるし、それをつけると流れが中断してしまうので今回は無しで行った。正確に伝わったかどうかは2人の感じでなんとなくわかる。すっと伝わっていっている印象である。今から思うとひとつひとつ通訳をしてもらった方がよかったかもしれない。話し手の判断にまかせたことがかえって良かったのかもしれない。これは判断の難しいところである。

 こんな風にしてヤリトリが終わる。出てきた感想がおもしろかった。他の人も聞いているから交流になり、いろいろ気づきがある。最初の色と食べ物の時はもうひとつよくわからなかったが、最後のヤリトリではしっかりと理解が深まっていくことを感じた。自分の中に入っていくという感じ。はたまた、そもそもこの主旨がよくわからない、外ではこんなヤリトリはないし、Kazuoのねらいを聞かせて欲しいという感想。まずは、「特に何も見つからなかったのですね」というレスポンスをし、話すことを考えていたら、他のメンバーから先ほど書いたようないろんな感想が出て、その人の気づきを促していったようである。特に、これはとてもシンプル。でも、このシンプルさに意味があるという気づきは、その人の心を打ったようであった。 

 私も話した。これは自分にすごく役に立っている。日常でも私がこのことに注意していればいろんな事が起きると子どもの例や怒ったり、混乱している人の例を挙げて話した。これは他の人にもいろんな気づきになったようである。ちょっとびっくりしたのは、退屈だった、動きが欲しかったという感想。これは初めて私が受けた感想。でも、やりとりしている内に発言者の思いがよくわかってきた。自分の日常はすごく忙しくしている、そんな中でこれが思われたとのこと。おもしろい。彼にとっての気づきだったのかもしれない。

 こんなことを通して結構穏やかで楽しく交流が続いていったようである。中にはこれを仏教との関連で見る人もあった。そうだ確かに仏教の真髄は深いが見た目には退屈だと思った。これも発言者にヒットしたようである。

 他の国のことをよく知っているわけではないが、私にはこのゲームは「如是我聞ゲーム」の名の通り日本文化と関連しているのではないかと思える。受容の文化である。ロジャーズを受容の観点から受け入れていったのも日本の特徴と思える。いろんな気づきをもらい、楽しく過ごさせて頂いた。ここしばらくこのゲームを海外で続けて行ってみようかと思っている。説明とセットにして実技として紹介していくとおもしろいのではないだろうか。D-pcaとも関連しているようにも思える。そうそう、セッションが終わってから個別に私の1人1人にすごく関心を向けている態度に感心したという感想をもらったのはとてもうれしかった。

 長くなったのでひとまず3日目の紹介はこれぐらいにしておこう。この後、すごく印象に残ったディスカッショングループやクロージングある。それらは、次回に・・・。

2018年10月18日 (木)

ロシアPCAカンファレンス2018-2/4, プレゼンテーション聴講

 2日目。朝10時から夜9時までの長い1日だった。いくつかのプレゼンテーションに連続して出た。1. 「この協会の設立経緯、今までの活動と目的」、2. 「PCAは文化なのか人間性に焦点をおいているのか」、3.「いわゆる精神障害者や知的障害者に来談者中心療法は適用されるのか」、4. 「フォーカシング」。そして、招かれて出席した、5. 「来談者中心カウンセラーの料金をどうするか」という議論である。

1.この協会の現在の代表者は、ベニアミン・コルパチニコフ。モスクワ大学生時代にロジャーズの論文に出会い、それに魅了されて歩んで来た人である。私は、1995年のギリシャでの国際パーソンセンタード・アプローチ・フォーラムで始めて出会って以来、その人柄と意気込みを感じて、以来交流が続いている。飾らない人柄が魅力。その彼がこの協会作りに携わり、現在に至っている。その意気込みや今後の抱負が述べられた。

2. 発表者はアレクサンダー・オルロフ。ロジャーズがかつてモスクワでワークショップをしたときに出席され、以来それに魅了され、現在でのけん引者になっている。ロシアの心理学で中心になっているのは、「歴史・文化アプローチ(私の訳出)」であり、その名前のとおり、人間の歴史や文化影響されている姿に焦点を当てている。このパーソンセンタード・アプローチ(PCA)はそれに真っ向から対立するものである。PCAは文化よりもより個人、そして個人の人間性(nature)に焦点を当てる。そこに大きな特徴があるという主旨。ロシア心理学の対比から考慮するととても興味深い。大事な点を突いている。とはいえ、フロアーからも意見が出ていたが、私には、これは二項対立ではなく、それらの関係性をも含めた全体性にPCAの特徴があるというふうに思えるのだが・・・。ま、それはともかくとしてこのような彼の思考過程がおもしろいと思った。最初に問いを発し、それに対して論を展開していく。何か独自の思考方法のように思えた。ちなみに、ロシアの心理療法の主流はゲシュタルト療法のようである。これも興味深い。

3.発表者は、オルガ・ボンダレンコ。フォーカシングを中心にモスクワで活躍されている方である。現在、訓練プログラムを精力的に展開されておられる。この質問は本当によく出る。特に、PCAに出会う最初のころによく出る疑問である。CCT/PCAは言葉を中心にやりとりをしているように見えるので、それらに困難性のある人達にそれが適用されるのかという疑問である。また、人間の成長傾向にも疑問が出されていく。
 オルガさんはまずは、ロジャーズのウィスコンシン大学時代のプロジェクトにふれられ、それが有効であること、またこの分野で実践されている人々が沢山いることをふれられる。要は言葉ではない。クライエントの体験過程(情動の動き)、セラピストの体験過程が大変重要でいわば有効なツールになる。また、クライエントの生い立ちに関する知識がセラピストの安定性にとって重要であると述べられた。実際にフロアーからは、これはクライエントに問題があるのではなく、セラピスト側にとまどいや不安があることが問題なのだという気づきも発言された。その後、3人一組になって、セラピスト、クライエント、観察者をおいて、双方言葉無しで手を使って表現するという場を設定して面接を体験してみるというエクササイズを行った。私も参加。言語が理解出来ないときにこの感覚が力を持ってくるのがおもしろい。セラピストになったときは、クライエントの動きがありありと感じられておもしろかった。クライエント側になったときは、自分が直面している問題がはっきりとしてきてそれにまつわる探究が出来たことがおもしろかった。セラピストの笑顔や反応みているととても安心があり、楽しく展開することが出来た。自分なりに1つの結論が出たのもおもしろかった。心和む一時であった。結局セラピストの純粋性、一致、つまり、刻々と流れている自らの感情に開かれていることが大きな鍵になると再度確認した。

4.発表者は、スベトラーナ・クツコバ。この人も直接お会いするのは今回が初めてである。にこやかな温かい感じが印象的。ボンダレンコさんと同じくモスクワでフォーカシングを中心に活躍されている。フォーカシングの今までの知識を確認することになり、実際の面接デモンストレーションも体験出来た。腕に違和感のあるクライエント。進める内に今までの経緯やそれにまつわる情動が鮮やかに浮かび上がってきたのが印象的だった。結局は怒りの感情の押さえ込みだったのだ。
その時のクライエントの笑顔も印象的だった。
 とてもおもしろいアプローチだと思う。セラピスト側がより安心して進められのが特徴かもしれない。とはいえ、シフトするにはいろんな感受性やスキルが求められのかもしれない。また、フェルトセンス、シフトすることが治療につながるという大前提を中心にこの体系は出来ているが、それが人間の全体なのか私には疑問に思える点もある。人間は意志をも含め未だ明らかになっていない全体的な力を発揮するのではないかと改めて思った次第である。これは今後の探究として楽しみにしておきたい。

5.発題者は、ローマン・シャポラロフ。30台の若手。昨年招かれたときに知り合った。飾らない、純粋な人柄が魅力的。ウラジオストック生まれ。アジアに親近感を持っている。
外国の経験者ということで、私を招待してくれた。「来談者中心療法では、クライエントが料金を決めるべきではないか」というのが主旨。これをめぐって大いに議論が沸いた。私も結構興奮して話した。その考えにまったく反対ではないのだが、一方的にクライエントが決めるとなると同意できない面もある。というのは、クラエント中心セラピーも非常に熟練を要する構成された場である。クライエントの成長力をより促進する場、つまり、その心理的風土に満たされた場を維持するのは並大抵のことではない。こちらに学習・訓練と経験が必要である。体調管理もとても大事。いわばICU酸素テントのようなものである。それには、一定の価値とそれを表す金額がセラピスト側からも提示される必要があるのではないかと思う。その軸を基に料金が決まっていくのではないかと思う。そのことが私を熱くさせたと思う。
 ところで、これはたんに議論ではなく実際にクライエントに料金を決めてもらっている実践が紹介された。このセッションであなたにとって高い金額、適当な金額はいくらなのかを提示してもらい、料金設定をしていくというやり方である。実際にはうまくいっているという。今までの私にはなかったやり方で驚いたし、ちょっとショックであった。とはいえ、やはり、しかし・・・が付くのが今の私である。ともかく、ひとつの決め手があるわけではない。それぞれのセラピストのところで探究していくものかもしれない。

 2日目のいきさつである。
これらは私の印象なので文責はすべて私にある。自身の実践を振り返ったり確認するとても貴重な場になった。この後、夜のセッションがあったが、さすがに疲れて私は研究室で休憩させてもらった。明日のワークショップについて練ることもひつようだったから。家に帰ったのは10時半頃だった。これまた通訳に恵まれ、うれしかった。感謝します。

 副産物として、これほど長時間ロシア語に接したのは初めてだった。もちろん意味はわからないのだが、ニュアンスはなんとなく届いてくる感じがする。デリケートで微妙な色合いのある響きが気持ちと共に表れている感じがしてがとても心地よかった。ロシアの人たちの暖かさとやさしさが滲み出ている感じがするのだ。


(写真は滞在していた友人宅から見える風景。巨大なアパートが隣接する住宅街である。モスクワはアパートが中心である。付近は公園も完備され、木々が美しい。秋から冬へ。黄葉がとても美しい。)

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2018年10月17日 (水)

ロシアPCAカンファレンス2018-1/4, オープニング・ミーティング。

 いよいよカンファレンスの第1日目が始まった。スタートは午後6時半から。まずは、オープニング・ミーティング。関心のある人達が一同に集まって様々な思いを共有しあう空間。この集まりの正式名称は、「Общество человеко-центрированного подхода」。英語では、「Society of the person-centered approach」となるようだ。一応私的に「ロシア・パーソンセンタード・アプローチ協会」と訳しておく。

 幸いに同時で通訳してくれる人に恵まれ、ほぼプロセスが理解できた。最初は同時通訳にちょっととまどったけれど・・。王様になったような気分だ(笑)。

 特に構造はなく自由にヤリトリする場。出されたものはPCAが自分にどんな意味をもつか、この協会に対する思いなどが中心になって出された。PCAの魅力、自分自身を出し合うことの面白さ、はたまた、意味合いを探しているがまだみつからなくて取り組んでいるということなどが話しあわれた。みんなほんと自由に表現し合う。話し合いそのものを楽しんでいるかのようだ。最初、私には聞き合う感じではなく混乱のように思えたがどうもそうでもないことが後になってわかりはじめた。何か彼の地風の話し合いの仕方のようなのだ。これはまた後ほど書こう。

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 自由に出し合うことそのもの。それには相手を尊重する態度が基底に必要。これがPCAのエッセンスのように思う。


 私は自己紹介をした。ここに来たいきさつを中心に話した。同時通訳にちょっととまどいながら。あるいは、初対面からくる緊張があったかな。ロシアの人たちは日本人とも似ていて最初打ち解けるまではちょっと緊張があるようだ。が、それも次第に打ち解けていくのだが・・。


 このような話し合いから自分にとってPCAというのはどんな意味合いを持ってきたかを振り返る場となった。私は最初の出会いからほんとPCAに大きな魅力を感じてはまり込んだ。どんな意味合いがあったか問うこともなかったように思う。ほんと私の人生そのものがPCAになったように思う。


 とても意味ある集まりだったように思う。通訳をして下さった方に感謝。

2018年10月16日 (火)

モスクワから帰りました。

 途中経過は大いに飛んで・・・。

 この11日(木)無事に自宅に帰りました。モスクワ市内での移動、フライト、すべては順調でした。今後の活動へのアイディアも浮かびました。充実した楽しい時間を過ごしました。毎日友人宅からバス、地下鉄で中心部まで通い、しばしモスクワ在住気分を味わえたのも楽しかった。

 これから、おいおい滞在先でのことを書いて行こうと思います。


モスクワと言えばここ。原義は「美しい広場」という意味。
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滞在していた友人宅付近の風景。中心部から1時間強のところ。モスクワはアパートがほとんど。
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クレムリン。勇壮です。
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モスクワ川からの眺め。ちょうど夕陽の美しいときでした。 Dscn2812_800x600

 

2018年10月 4日 (木)

モスクワ滞在の始まり

 ロシアPCAカンファレンスに参加するためにモスクワに来ている。昨日こちらに着いた。気温は16度ぐらい。相生より少し寒いぐらいだがそんなに変わらない。雨模様で体感的には寒く感じる。とはいえ、滞在先のアパートもマーケットも暖房が素晴らしく完備していて室内は暖かい。

 今日は滞在先登録のために近くのポストオフィスに寄った。ポストオフィスといっても郵便だけではなくこのような滞在登録など日本の市役所の市民課的な役割も果たしているようだ。8日以上ロシアに滞在するときはこの手続きをしなくてはならなくなっている。ホテルに滞在するときはホテルからこの手続きをしてくれるのだが友人宅などに滞在するときは友人がしなくてはならない。パスポートの全コピーを提出。友人に書類を書いて提出してもらうことになっている。全コピーは日本であらかじめしておいた。手続きは無事終了。来ている人たちの様子を見ていてああロシアにいるなという感じがして面白かった。すごく庶民的な感じがする。

 その後はスーパーマーケットやら友人の用事で電気屋さんに寄ったりもした。これも雰囲気を味わえて面白かった。ついでにSIMカードも買った。端末に入れたら無事にこちらでもスマホが使えるようになって面白い。始めて試みてみた。こちらも公衆電話がほんとにすくなくなっているから必需品になってきている。

 夕方から友人のゼミに招待されていてとても行きたかったが、時差の関係だろう、どうも体がしゃっきりしないので友人宅で休憩することにした。6時間の時差。日本では寝るべき時間にまだまだ夕方だからなんとも不思議な感じだ。体がそのリズムをしっかり憶えているのが面白い。

 というわけでいよいよロシア滞在が始まった。明日からそのカンファレンスが始まる。楽しみである。

 写真は大阪から東京までの飛行道中で撮った富士山の写真。なんと美しいことだろう。ラッキーだった。そして東京からモスクワまでの飛行はほんと快適でスムーズだった。

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2018年9月29日 (土)

9月のD-pca研究会-専修念仏-

 昨日28日(金)はD-pca研究会。西光義敞『入門真宗カウンセリング』を読み、その後自由なヤリトリをする。読んだところは、第六章「南無阿弥陀仏」、「専修念仏」、「行」、「画期的な革命」のところ。

 浄土門は南無阿弥陀仏が要であるが、先生は、まず、仏教(仏道)において行の意味を押さえられる。悟りを得るには仏道修行が必要である。これは本質的なもの。様々な行がある。その中で、凡夫が仏陀になる行として「念仏」行、さらに口称念仏をはっきりと引き出されてこられたのが法然上人。私たち凡夫にはその道しかないと上人は言い切られた。私たちの日常生活は念仏しやすいように送っていく。それに尽きると。これは仏道門においては画期的なことであった。

 結果、今までは貴族のものであった仏教が武士階級へ、農民を中心とした庶民へと広がっていく。いわば真の日本仏教の展開はここから始まったと言えるだろう。だが、その結果として奈良を中心とした旧勢力や天皇の怖れからくるのだろう怒りを買い、法然門下は流罪や死刑に処せられた。このあたりのいきさつを述べられている。

 読みながら私は自身のことへと思いが向く。この私はどういうご縁か先生や同行さん達に恵まれてお念仏に出遇った。私にとっては本当に目の醒めるような究極の大きな体験であった。今もそれは私の中に生きている。思わぬ時に念仏がこぼれ出てくる。有り難いことである。さらに、これをもっと意識してこちらからお念仏していく時を作って行こうと思った次第である。

 また、同時に、この超シンプルなお念仏に出遇うということがいかに難しいか改めて直面させられることとなった。

 
次回は、10月26日(金)午後1時から4時です。


2018年9月25日 (火)

HONDA S660

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 65歳を機にこの車を購入した。以前から2シーター・オープンスポーツカーが欲しかった。と思っていた時にこれが登場した。しかも、軽規格で・・・。かねがね小さくて質のよい車が欲しかった。なにもかもうまいタイミングで登場したものだ。乗ってみると小気味よくてほんとよろしい。

 とはいえ、シャシー剛性がとても高いのでサスペンションの質を上げた方がさらによくバランスするなと思った。ということで、2年かけて順次、サスペンションキット、ブレーキを付け替えていった。ブランドはモデューロ。そして、この4月にめでたくホイールもモデューロに交換した。

 結果は・・・。すごい。別の車のようになった。乗り心地はさらによくなり、コーナーは思った通りに綺麗に曲がっていく。ブレーキも思った通りにかかる。ほんと心地よい軽い走りがしてとてもいいのだ。最近、全体にあたりがついてきたのかさらによくなったような気がする。

 スポイラーは例の約75km/hで自動的に上昇する奴だ。軽自動車に?ま、ご愛敬で付けたのだが、これが思ったよりもすごく効果をあげている。全体をグレードアップしたらさらにその効果がよくわかるようになった。試しに低速から上げてみるが乗り心地が悪くなってよくない。70kmを過ぎて上がると俄然安定感が増す。そのまま速度をさらに上げていってもぴったりと張り付いてすごく安定して走るのに驚く。最近、代車でそれが着いていないものに乗ったがその効果を逆に感じとることが出来た。ひょっとして軽自動車だからこそその効果があるのかもしれない。

 エンジンは64馬力。軽自動車自主規制のままだ。低出力?いやいやそんなことはない。出だしはいいし、坂道なんてなんのその。低回転からターボが効いてトルクが十分に出る。CVT仕様。パドルで走らせるとびっくりするほど速い。特に中間からの伸びのある加速がいい。ターボにはCVTが合っていると思う。街中では十分どころか速すぎる。代車でマニュアルに乗ったがエンジン出力のおいしいところを合わせるにはかえって難しいように思った。

 ますます私の体になじんで行く気がする。もうこれはいわゆる軽自動車ではない。軽の枠に収めた高品質スモール・スポーツカーだ。オプションとしてはエアロ・パーツ装着がまだあるが当面これで十分だ。むしろモデューロXではない自分の車が出来たという感じだ。

 西播磨の道は信号が少なくて曲がりくねっている。道路は細い。まさにこの車にうってつけである。天気のよいときにトップを開けて走る時の爽快感はなんともいえない。


イスラエルの友人との会話

 昨日イスラエルの友人ヤコブさんとスカイプで会話した。彼と始めて出会ったのはもう6年前になる。京都訪問に来られていてその時に出会い、案内をした。2人の共通点はイギリスの仏教徒デイビッド・ブレイジャーさんである。ブレイジャーさんとは2006年に京都で始めて出会った。西光義敞先生との対談が行われた時である。Yさんはそのブレイジャーさんから仏教(特に浄土教)と心理療法を学ばれている。そのつながりから私に連絡を下さり、京都で出会うことになった。

 Facebookでのやりとりを続けていて昨日はひょんなことからスカイプで話したいということになった。まさに6年ぶりの出会いである。遠いイスラエルと日本が今ここで画面を通してお会いすることになる。まるでそこにおられるようだ。なんとも不思議な感覚である。

 話は、真宗と心理療法に関すること。両者の位置づけはどうなっているかという疑問である。「心理療法(特にPCA)人間に関心を持っている。一方親鸞の関心は阿弥陀仏の本願にある。そこにどういう出会いがあるか」というのがYさんの疑問だ。そう、ここが大事なところだ。私は真宗も個人を扱っているとかねがね思っているし、まさに、今ここに私の中に顕現している。イキイキと生きている。真宗は決して教義や思想として存在しているものではない。こんなことを私の例を通して話した。また、親鸞さんの書かれたものは一見教義について書かれているようであるが、そこには親鸞さんご自身の法に出遇われ、仏陀になることが定まった止めどもない喜び・悦びの表現でもある。歎異抄の「親鸞一人がためなりけり」という言葉を振り返り、お話をした。すごいことにYさんはこの一文を知っておられる。

 心理療法の目的である自らの体験過程に開かれることについて、本願に出遇うことについての話にも及び、本願に出遇うことは自らの体験過程に出会うことよりもさらに根本的なことであることも身振りを交えながら話した。

 なにかが交流した感じがした。

 その後は、奥様のオルナ様にも久々に会い、お孫さん達も紹介していただいた。3人のとてもキュートな子ども達を見ることは本当に楽しかった。もちろん私の妻もそこに居合わせた。

 いやはや、とても不思議な瞬間。改めて不思議なご縁を思う。6年前に京都、美作の誕生寺を私たち夫婦と一緒に訪れた想い出が蘇ってきた。同時に、私の中に常に働いているお念仏の働きにも改めて思いをいたした。


2018年9月21日 (金)

念仏との出遇い-私の一大事

 30年ぐらい前になるかな。ある先生の本を読んだ時、「自分の人生で一番よかったことは、良き妻に出会った事とお念仏に出遇ったことだ」と書かれていました。この時、奥様に出会われてよかったことはわかるけれど、お念仏に出遇うことがそんなにすごいことなのか、もう一つよくわかりませんでした。えっ、「なんまんだぶつ」ってそんなにすごいことなの。ほんま?というような具合です。それが今ではとてもよくわからせていただきます。

  お念仏に出遇うということは、自己の極重悪人の姿(真理に暗い)をしっかりと見せてもらう事であり、同時に、その私に向かっている弥陀仏の本願力の尊さに本当に頭の下がることでありました。このあたりの心境を言葉で表すのはとてもむずかしいのですが、我が身に徹到する体験でした。もうとてつもなく身にあまるようなもったいないことなのです。とはいえ、決して神秘的な体験ではありません。が、理性だけでわかる体験でもありません。スッキリとああそういうことだったのかと道理が届くひるがえりの体験でした。ほんと言葉でいうのは難しいですが・・・。

  それ以来、いろいろ揺れたり不平不満を言う私ですけれど、終始一貫して泉の如く暖かい歓びが底に流れている自分を思います。我が身に向かう本願力の大きな働きにいつも振り返らせていただくのです。これからどんな形になるかわかりませんが、この生を終える時、ますますそれが輝くことも思わせていただきます。これは本当にそう思わせてもらうのです。すごいことです。

なもあみだぶつ

2018年9月 8日 (土)

PCAと仏道(聴聞)、その洞察・気づきの決定的な違い

 PCAも仏道(聴聞、つまり求道)も気づき、洞察の深まりという点では共通点があると書いたが、同時に、両者には決定的な違いがある。

 PCAの気づき、洞察は自己の内から浮かび上がってくるという特徴があるし、そこに焦点を置いている。つまり、内から外。だが、聴聞(求道)はそうではない。外から内へというプロセスを取る。釈尊の悟りから明らかになった真理を聞くということになる。それらは教法という形で私たちに与えられていて、経、経論そして人を通して出言してくる。これを聞きひらき、わが身に照らし合わせて、その姿を諦かに観るというプロセスを取る。

 といっても、外と内とはまったく別物ではない。与えられている教法は自らの姿をおいて他にはない。そのものである。ただ、私たちにはそれらを簡単に洞察できるほどの智慧はない。自分の中からでてくるものはあくまで分別の浅い知恵でしかない。だから見かけは外にあるように見える。そこを超えて真の自己洞察に至るには外に見える教法を訪ねていくことによって得られる。つまり、鏡が必要なわけである。そして、その洞察は超越、超える、転じるという姿を取る。真宗でいえば廻心である。これが仏道(聴聞、つまり求道)の大きな特徴である。

 なかなか言葉にするのは難しい。特にあの転じる瞬間の表現は難しい。

 とはいえ、PCAが外からの洞察をまったく考慮していないということはない。特に、「学習者中心教育」の探究がそうである。人の関心には内から外へ向かうという傾向がある。すべての人が本来的にもっている傾向である。知的好奇心がそのよい例である。そして、それがどんな心理的風土の時によりよく解放されるかについて探究されてきた。これは仏道求道の方からもとても有意義な探究であり、しっかりと関心を向ける必要がある。

関連ページ→PCAと仏道(特に真宗聴聞)との共通点

2018年9月 6日 (木)

モスクワでのカンファレンス

 この10月始めにモスクワで開かれる「ロシア人間中心のアプローチ協会」のカンファレンスに呼んでいただきました。私が行うワークショップの案内文の日本語草稿を載せます。

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日本文化の中での私のPCA学習体験の共有-エクササイズの紹介を通して-

 私がPCAに出会ったのは1973年でした。大学1年生の時です。恩師西光義敞先生に出会ったのがきっかけです。その当時、日本にはカール・ロジャーズの非指示的療法・来談者中心療法が入ってきていてとても熱狂的にそれを学習しているときでした。沢山のワークショップやエンカウンターグループが開かれていました。参加者は教員、社会福祉事業従事者、企業人、学生、はたまた主婦などとても幅広い人たちでした。100人近くの人たちが一同に集まり学習をしていました。そのやり方はまさに学習者中心。本当に非指示的に始まり、試行錯誤しながらグループを作ったりして主体的に動いていくところに大きな特徴がありました。私もその中にあってただただ感動していました。困惑あり、発見あり、参加者との深い出会いありと私の人生にとってとても大きな出会いとなりました。すごい熱気がありました。その時の感じを今もよく憶えています。私の学習は他の仕事を続けながら10年以上続き、その中からひとつひとつを体得していったように思います。その後、私はロスアンジェルスのオルターナティブ・スクール"Play Mountain Place"に渡り、自由の教育を体験的に学ぶことになり、帰国後しばらくして国際PCAフォーラムに出会い、学習の場は国際的になっていきましたが、その基礎は当時の日本での学習にあるなと今思います。

 前述しましたようにその学習方法は参加者主体の自由なグループ体験が基本ですが、時には、いくつかのエクササイズを通して学習するものもありました。如是我聞ゲーム(フィードバック・ゲーム)、ミニ・カウンセリング、3人一組で行うエンパシー・ラボと名付けられているものです。おそらくどの国でもこれらの演習は行われていると思いますが、如是我聞ゲームというのはひょっとして日本独自のものではないかなとも思っています。皆さんの感想を聞きたいところです。その本旨は、受容、共感、聞く態度の体験学習というところにあるかと思います。

 今回のワークショップではこれらの学習方法を体験的に紹介したいと思っています。時間の関係でまずはこのフィードバック・ゲームに絞って紹介することとなるかと思います。一緒に体験したいと思っています。さらに、時間があれば15分から30分程のデモンストレーション面接が行えたらと思っています。

 どんな出会いが起きるかとても楽しみにしています。
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2018年8月25日 (土)

8月のD-pca研究会-自由に表現できるっていいな

 昨日、8月24日(金)は、京都にてD-pca研究会。

 西光義敞『入門真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会の輪読を続ける。(五)「人身受け難し今すでに受く」を読み終え、(六)「南無阿弥陀仏」に入る。いよいよ佳境に入っていく。今回は、「六字釈」の項を読む。

 ここは、そこに参加しておられた方々のヤリトリが克明に掲載されていてとてもおもしろい。「南無阿弥陀仏とはどういう意味なのですか」という質問から始まり、先生はここでは参加されている方々に発言を振り、耳を傾けられる。親鸞聖人の六字釈をめぐって幾人かの味わいが紹介されていく。味わいが1人1人で違うのがおもしろい。ここのヤリトリは自由で本当におもしろい。こういう法座がもっとあったらいいなと本当に思う。

 その後は、自由なヤリトリをする。「聴聞とは何ですか」というこの原点を突いた質問がうれしかった。これまたそれぞれが自分が「聴聞」をどう受け取っているかが話されていき、質問された方も驚きも含め、新鮮な感じがなされたことと推察する。「楽しかった」ですという言葉もうれしかった。

 やはり、心おきなく自由に表現出来、それを聴き合う。こんな場はとても大事だし、これが起きている研究会はいいなと思った次第である。

 次回は、来月9月28日(金)1時から4時まで。
場所等は、このリンクを参照して下さい。

 この後の項では、先生は念仏のおいわれについて仏道の原点にもどして「行」のところから克明に説明されていきます。次回が楽しみです。


(写真は先日ドライブした大山桝水高原から見た米子方面日本海の風景)

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2018年7月28日 (土)

7月D-pca研究会ーPCA理解のむずかしさー

 京都でD-pca研究会でした(7月27日)。西光義敞『入門真宗カウンセリング』、第五章「人身(にんじん)受け難し、今、すでに受く」を自由なやりとりを通して読み進めています。

 D(仏法)の理解も難しいけれど、PCAの理解も難しいなと思いました。どちらも体験を通して自らがつかんでいく必要のあることです。


 思いが自由に出せる場になっていることがこの研究会の特徴だなと改めて思います。

次回は、8月24日(金)1時から4時です。


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2018年7月24日 (火)

真宗者のカウンセリング研修会

 昨日は本願寺派兵庫教区赤穂北組のヴィハーラ研修会に招かれて学習会を行ってきました。2回目になります。

 今、私が改めて大事に思っている「共感的理解」と「人間の成長力」(「自分の人生を自分なりに工夫する力」とこの頃思います)について短い話をした後、質疑応答と自由なやりとりをし、休憩を挟んでペアでのリスニング体験を行いました。また、質問を契機に「D-pca/真宗カウンセリング」についても少し話をさせていただきました。

 なごやかな雰囲気の中で様々な質問や思いを共有し合えたことがとても新鮮で楽しかったです。どこか昔から学習しあってきているような不思議な感じでした。やはり、西光義敞先生とこの地域とのご縁があったからでしょうか。

 と同時に、いわゆる「共感的理解」の理解がとても大事だし、難しいことだなも思いました。正確には「クライエントの内部的準拠枠にもとづく感情移入的理解を経験し、それを伝えあいつつある関係(ロジャーズ)」ということになります。このようにごつごつした表現には意味があります。それは、「寄り添う」ことでもなく、「わかる、わかる」と同情。同感、賛成しあう関係でもなく、本来理解することの出来ない他者の世界にそれだからこそ入り込もうとし、それを逐一確かめ合う関係といえるかなと思います。個々をしっかり切り離した上で理解し合おうとするエネルギーのいる厳しい関係と言えます。

 そのあたりの理解となると、まとまった時間の体験学習の積み重ねが必要となります。逆にいうとじっくり学習していったら確実に身についてくるということでもあります。今後、継続した学習が出来ていったらとてもうれしいと思いました。地域の精神的な主柱という寺院の大きな役割を考える時、それだけの意味のある学習だなと思いました。

 意義ある充実した時間を下さったことに感謝します。光栄な事です。

2018年7月18日 (水)

PCAと仏道(特に真宗聴聞)との共通点

 PCA(パーソンセンタード・アプローチ)、仏法(Dharma)、D-pcaを巡っていろんな思いが湧く今日この頃である。少しずつここに掲載していこうと思う。今回は、仏道(特に真宗聴聞)とPCAとで、自己理解、気づきが進んでいくという点で共通点があるので述べてみたいと思う。 

 PCA(一応カウンセリングにしときます)を学習していておもしろいのは、援助者と共にやりとりする中で自己理解がすすんだり、気づきが起きてくることである。特に、今、ここで自分の中でどんな気持ちが動いているかがよく感じられてくるようになる。これは一瞬一瞬動いていて変化している。この感じと共に流れている時すごく豊かな時を過ごしているような心境になる。年齢を重ねることでさらに味わいが深まったりする。ここが本当におもしろい。大きな宝物に出会ったようだ。

 そして、これは仏道も同じだと思う。逆に、仏道もPCAとある意味同じなのではないかと思う。法話や座談を通して聴聞を重ねる中で自分の中に本当に具体的に気づきが起きてくる。これは本当に起きてくるからおもしろい。究極の「なんまんだぶつ」の瞬間もそのように思う。そういう意味ではPCAも仏道も共通の軸上にあるように思う。ちょうど串刺し団子みたいに・・。ただし、PCAは根底を突いていないというか、つまり、生死の迷いとそこからの出離という深くて澄み切った自覚の心境は仏法を通して始めてこの身に体験されてくるもののようには思う。

 ここが、PCAと仏道(Dharma)が出遇う所以があるように思う。二重構造でつながりながら1つの統一された道というか。

2018年5月28日 (月)

5月のD-pca研究会-人身受け難し、今すでに受く-

 

 京都にてD-pca研究会。西光義敞『入門 真宗カウンセリング』を輪読。第5章「人身(にんじん)受け難し今すでに受く、仏法聞き難し今すでに聞く」より「爪上の喩え」、「盲亀浮木の喩え」を読む。自由なやりとりが進む。


 人間に生まれることが如何に「有り」「難い」か。人間に生まれてこそ仏法が聞ける。そして、さらに、その仏法を聞くことが如何に「有り」「難い」か。そうして、今、ここにそのチャンスに出遇っている。その喜びを確認しあおう。

 ついつい、当然のこととして疎かにしてしまいます。また、如何にこの教えが受け取り難いか。

 ともかく忌憚なくいろんな思いや気持ちが出せる。時には激しくなります。ですが、これがこの研究会のいいところだなと改めて思いました。

 海外から来られた方が熱心に撮っておられたので、ついついつられてめったに撮らない京都タワーの写真を撮ってしまいました。やっぱりこれはこれで美しいのかなあ。



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2018年1月27日 (土)

2018年1月のD-pca研究会-仏教とカウンセリングの人間観

 昨日はD-pca研究会。まず初めに、西光義敞先生の『入門 真宗カウンセリング』を輪読。ここ数年の継続プラン。今回は、(四)仏教とカウンセリング(p.67~)を読みました。

 仏教とカウンセリング(PCA)の人間観の共通性、相違性がテーマです。

 共通性は、1.いまここを大事にする。いまここのそういう関係を大事にする。2.人間を神に造られたものとして捉えるのではなくて、ヒューマン・オーガニズムとして捉えるところ。これは、仏教の衆生と共通するところがある。

 相違性としては、迷っている命とか生死を超えるというところ。仏教では、生死を「しょうじ」と読み、生と死を切り離さないで捉える。そして、これ、生死を迷いとして捉える。果たしてロジャーズの考え方にはこういう視点があるのかどうか疑問。

 というところが要点かと思います。みんなで声を出して読んだ後、自由な話し合い。はてはて、生死を迷いとして捉えるが話し合いの中心になったかと思います。その後は、参加者の今の思いを聴き合う時間となりました。味わい深い一時となりました。

 終始一貫して忌憚なくありのままのところで話し、時には白熱した議論ともなり、大きな出会いの時間になったかと思います。充実した時間をすごさせていただきました。

 次回は、2月23日(金)10時からになります。

D-pca研究会→http://chodr.ptu.jp/Dpcakenkyukai.htm

2018年1月12日 (金)

第7回ワイガヤの会(ワンデイ・ワイガヤ・リトリートグループ)の案内

 3月11日(日)10時から5時までワンデイ・ワイガヤ・リトリートグループ(ワイガヤの会)を行います。

呼びかけ
 振り返ってみれば、私達は慌ただしく、ストレスいっぱいの日常生活を送っています。そんな中でふと自分を取り戻すひとときも必要だなと思います。今回、そんな場を作ってみることにしました。この場は、少人数のグループで、世話人の提供する「育ち合う人間関係」の中で自由に語り合い、聞き合う場です。仲間と共に一息ついてリラックスし、自分を振り返ることが出来たらと思います。と同時に、健康的なコミュニケーションのあり方について体験的に学ぶ機会にもなります。
 関心のある方はどなたでも参加できます。場所は、のんびりとした瀬戸内沿岸相生市です。遠方の方は近くにホテルがありますので前泊、後泊することが出来ます。旅行を兼ねて気楽に来ていただくというのもいかがでしょうか。お出会いを楽しみにしています。

日時:平成30年3月11日(日) 午前10時から午後5時

定員:8名。2名より行います。

場所:D-pca研究センター 相生市那波東本町6-4 (JR相生駅より徒歩10分)〒678-0056
  (宿泊先は、JR相生駅前にビジネスホテルがあります。別途案内させていただきます。)

参加費:9,000円(昼食・宿泊は含みません)

連絡先・申し込み先:D-pca研究センター 山下和夫
         電話・FAX:0791-22-5386 携帯:090-5654-9681
                  E-メール: kazu@chodr.ptu.jp  ホームページ:http://chodr.ptu.jp/

ホームページをリンクします。どうぞ。

2017年後半の様子-海外旅行

 それにしても昨年9月以来のブログになるのか。この間にも確かにいろんな事があった。大きなことは、10月末から11月はじめにかけて、モスクワ、パリ、フランス郊外、ポルトガルを旅したことだ。ただし、ブエノスアイレスまで行き、地球一周計画をしていたのだが、それは残念ながら達成出来なかった。

 モスクワでは、友人ベニアに招待していただき、彼の勤める大学でワークショップをした。海外でのデモンストレーションという新しい試みも行った。その後は、友人ラダさんにモスクワ市内を案内していただいた。トレチャコフ美術館訪問、チャイコフスキー記念ホールでのコンサート。ツァリツナ公園散策。カロメンスカヤ公園散策。クレムリン訪問ととても楽しかった。地下鉄を使って移動したのもよい経験になった。もちろん車での移動もあり、モスクワの町の様子が見られたのも貴重な経験であった。さらに、ベニアの住むアパートを自由に使わせていただいたこともモスクワ在住気分が味わえてよかった。近くのスーパーマーケットに行くのが楽しかった。言葉や文字が通じなくても何とかなるものだ。モスクワは、前回訪問したときよりも町全体が落ち着いた、バランスが取れた印象を受けた。

 その後は、パリに移動。セーヌ川をはさんでルーブル美術館の真ん前というホテルに泊まることが出来た。パリ情緒満点のところである。残念ながらルーブル美術館は休館日で中には入れなかった。その分、セーヌ川沿いを存分に散策出来たのはよかった。エッフェル塔、凱旋門、コンコルド広場をそぞろ歩いた。その後、鉄道でサンタモンロンまで移動。
ここは、東西南北、まさにフランスの中心部に当たるところだ。ここでデイビッド・ブレイジャーさんにお会いした。そこに3泊させていただいた。7年ぶりのことである。一時大病をされたが回復され、精力的に著述活動やワークショップを行われている様子であった。ほんと自然豊かな田舎。ここで、エコロジカルな生活をされているのが印象的であった。

 その次は、ポルトガル。リスボン在住の友人の家に泊まらせていただいた。リスボンの美しさにはほんと魅了された。その後、ポルトガル南端まで車で案内していただいた。ヨーロッパ最南西端に行くことが出来た。ここは大西洋と地中海の境のところ。ほんとうに美しい光景だった。

 と、こうして楽しい旅をさせていただいたのだが、その後、とんでもないことが。市電に乗ってリスボン旧市街のお城見学をさせていただいたとき、なんと鞄からパスポートを盗まれてしまった。ほんといまでもこれは信じられない。でも、本当にそれはなかった。急遽警察に届け、日本大使館に行く。再発行も出来なくはないが、戸籍抄本がいるために時間がない。帰国を決めた。そのための渡航書を発行してもらった。お金はまったくぶじだったのだが、パスポートがないとほんとなんにも出来ないことを改めて痛感した。

 ポルトガルの後にはブエノスアイレスで開催される国際パーソンセンタードアプローチフォーラムに参加することになっていたのだが、それらは全部フイになってしまった。これをとても楽しみにしていたのにほんとこれはとても残念で口惜しかった。

 とまあ、こんな旅行。モスクワ、フランス、ポルトガルだけの訪問でもほんと大旅行だったし、よい体験をさせてもらったのには違いない。地球一回り案まで達成すると出来過ぎなのかも知れない。これを教訓にまた次へと歩みたいと思っている。 

 ということで、2017年は終了した。うれしいことに体調はいい。今年は、どんな展開になるやらこれまた楽しみなことではある。おそらく国内が中心になることと思う。 

2017年9月 5日 (火)

育ち合う人間関係を学ぶ集い

 「育ち合う人間関係を学ぶ集い」が現在継続中です。今、ここでの出会いが深まって行っているように思います。改めて週1回2時間の頻度で6回継続することの意味もまた味わっています。継続中は、この時間がひとつの節目となり、リズムが出来、螺旋的に深まっていくような感じがします。真摯に取り組みあう姿が美しい。今は、ちょうど真ん中になります。(写真は飛龍の滝)


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2017年7月31日 (月)

夢中で過ぎた7月でした。

 前記事の後、忙しい7月が続いた。7月6日(金)から11日(火)まで北海道聞法旅行。D-pca研究会、カウンセリング面接を通して、7月18日(火)から28日(金)までメキシコ旅行。やっと一息ついたところである。

 北海道聞法旅行は、浄土真宗華光会が主催されているもの。聞法は座ってする座談だけにあらず、お同行さん達との旅を通してこれまた進んでいくものである。こんな趣旨で何10年にわたって続けられてきている。私は今回初めての参加である。北海道の広い自然に感動する。私たちは朱鞠内湖を訪れた。ここは戦前そこに作られたダム工事を通して、朝鮮、日本各地から来られた労働者達の悲劇が起きた土地でもある。そこにあった浄土真宗寺院がその亡くなられた方達のお葬儀やら埋葬に献身された。その後、この話は葬られてしまっていたが、一乗寺の殿平さん達によって発見され、朝鮮、日本との交流を願って、その活動が行われてきている。私たちは、その話に直に接する中で、歴史の中にあった事実に肌身を通して向き合うこととなった。改めて煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界を思わせてもらい、念仏の真実さに直面することとなった。

 メキシコ旅行は、これまた充実した時であった。ここ数年、WAEH(折衷派催眠療法家のための国際カンファレンス)に講師の1人として呼んでいただいている。今年もその機会をいただき、「D-pca:仏法を基底とした人間中心のアプローチ」について話しをしてきた。パーソンセンタード・アプローチについての話に続いて、仏教、特に真宗の話には、その世界観の違いに驚かれた様子だった。終始、熱心に聞いて下さったこと、とても光栄なことだった。学生さん達とも心を開いた交流が出来たことも宝物だった。また、アプローチを異にする先生達との交流も格別のものであった。場所は、マサトラン。その後、メキシコシティ、モレリア、グアダラハラを訪れ、PCA国際フォーラムを通して知り合った人達との再開と交流を深め、これまで貴重な時間であった。よき友に恵まれたものである。

 というわけで今日に至る。今日は7月最後の日である。時差ボケも治まり、また、新たな時を歩もうとしている。

2017年7月 4日 (火)

ヴィハーラ活動研修会-傾聴

 地元の寺院で行われているヴィハーラ活動研修会に招待いただき研修会を行ってきました。傾聴がテーマでした。次のようなことを柱にしました。

1.人間には復元力がある。自己理解、基本的態度、自己指示的態度に向かう大きな潜在力がある。それは死に向かっていく力が存在するということをも意味する。
2.それはある一定の人間関係の下でよりよく発現されていく。傾聴、つまり、共感的理解はその中の1つである。どうするかではなく、どう「ある」かが重要である。
3.一にも二にも体験学習。これらは知的な学習、特に、一方的な講義で身につくものではなく、継続的な体験的な学習によって身についていくものである。

 まず最初にパーソンセンタード・アプローチの基本仮説(ロジャーズ)について説明。思えば、ロジャーズは傾聴と言う言葉を使っていません。共感的理解(Empathic Understanding)です。その後、円座になって、「チェックイン」、「ペアでの『聞き合わない』ゲーム」。「如是我聞ゲーム」を行い、最後に体験したこと、疑問などのシェアリングをしました。終始、なごやかなムードで楽しく、しかも気づきのある集いになったようでした。

 ヴィハーラに限ったことではなく地域の中で寺院は人々の安寧につながる大きな役割を占めます。こんな中でD-pcaはそれこそ重要な役割を果たします。いや、それを抜きにしてはあり得ないと思います。こういう、地道な等身大の研修が続いていくことを夢見ています。

 私もいろんな気づきをいただきました。招待していただいたこと光栄に思います。同時に、私にとって、真宗とPCAとの出会いは大きなことだっんだと改めて思わせていいただきました。

 


2017年6月29日 (木)

7月は忙しくなるな。

 京都、横浜の仕事の疲れから回復してきた感じ。7月に入るとこれまた忙しくなる。

 継続的に行っている「カウンセリング」、「法座」、「聖典講座」、「本願寺派赤穂北組のヴィハーラ研修会」、「北海道聞法旅行」、「月例D-pca研究会」、「ワイガヤ・リトリート・グループ」、「真宗カウンセリング研究会交流の集い」、「教行信証勉強会」、「メキシコで行われるWAEH(折衷派催眠療法家の要請セミナー担当」と続いていく。どれもD-pcaを提示していくことになる。

 この状況は自分でもちょっと驚いている。ともかく体に気をつけて細く長くをモットーに続けて行こうと思う。

2017年6月27日 (火)

東京を楽しむ

 翌日、日曜日(25日)は、東京で休憩を楽しみました。かねてから行きたかったHonda本社にある、ホンダ・ウェルカム・プラザを訪れました。

 ちょうど、今までのF1マシンの展示が行われていました。また、NSXも実際に見ることが出来ました。Hondaのチャレンジは私たちを楽しくさせてくれます。また、ロボットAsimo君のデモもあり、楽しかった。これも実演を見たかったので丁度よかった。結構動きに愛嬌のあるロボットですね。

 うまい具合に、東京に住んでいる息子とも話が出来、よい時間でした。それにしても東京の人の多さ、鉄道路線の複雑さに改めて驚きました。

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