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2018年7月

2018年7月28日 (土)

7月D-pca研究会ーPCA理解のむずかしさー

 京都でD-pca研究会でした(7月27日)。西光義敞『入門真宗カウンセリング』、第五章「人身(にんじん)受け難し、今、すでに受く」を自由なやりとりを通して読み進めています。

 D(仏法)の理解も難しいけれど、PCAの理解も難しいなと思いました。どちらも体験を通して自らがつかんでいく必要のあることです。


 思いが自由に出せる場になっていることがこの研究会の特徴だなと改めて思います。

次回は、8月24日(金)1時から4時です。


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2018年7月24日 (火)

真宗者のカウンセリング研修会

 昨日は本願寺派兵庫教区赤穂北組のヴィハーラ研修会に招かれて学習会を行ってきました。2回目になります。

 今、私が改めて大事に思っている「共感的理解」と「人間の成長力」(「自分の人生を自分なりに工夫する力」とこの頃思います)について短い話をした後、質疑応答と自由なやりとりをし、休憩を挟んでペアでのリスニング体験を行いました。また、質問を契機に「D-pca/真宗カウンセリング」についても少し話をさせていただきました。

 なごやかな雰囲気の中で様々な質問や思いを共有し合えたことがとても新鮮で楽しかったです。どこか昔から学習しあってきているような不思議な感じでした。やはり、西光義敞先生とこの地域とのご縁があったからでしょうか。

 と同時に、いわゆる「共感的理解」の理解がとても大事だし、難しいことだなも思いました。正確には「クライエントの内部的準拠枠にもとづく感情移入的理解を経験し、それを伝えあいつつある関係(ロジャーズ)」ということになります。このようにごつごつした表現には意味があります。それは、「寄り添う」ことでもなく、「わかる、わかる」と同情。同感、賛成しあう関係でもなく、本来理解することの出来ない他者の世界にそれだからこそ入り込もうとし、それを逐一確かめ合う関係といえるかなと思います。個々をしっかり切り離した上で理解し合おうとするエネルギーのいる厳しい関係と言えます。

 そのあたりの理解となると、まとまった時間の体験学習の積み重ねが必要となります。逆にいうとじっくり学習していったら確実に身についてくるということでもあります。今後、継続した学習が出来ていったらとてもうれしいと思いました。地域の精神的な主柱という寺院の大きな役割を考える時、それだけの意味のある学習だなと思いました。

 意義ある充実した時間を下さったことに感謝します。光栄な事です。

2018年7月18日 (水)

PCAと仏道(特に真宗聴聞)との共通点

 PCA(パーソンセンタード・アプローチ)、仏法(Dharma)、D-pcaを巡っていろんな思いが湧く今日この頃である。少しずつここに掲載していこうと思う。今回は、仏道(特に真宗聴聞)とPCAとで、自己理解、気づきが進んでいくという点で共通点があるので述べてみたいと思う。 

 PCA(一応カウンセリングにしときます)を学習していておもしろいのは、援助者と共にやりとりする中で自己理解がすすんだり、気づきが起きてくることである。特に、今、ここで自分の中でどんな気持ちが動いているかがよく感じられてくるようになる。これは一瞬一瞬動いていて変化している。この感じと共に流れている時すごく豊かな時を過ごしているような心境になる。年齢を重ねることでさらに味わいが深まったりする。ここが本当におもしろい。大きな宝物に出会ったようだ。

 そして、これは仏道も同じだと思う。逆に、仏道もPCAとある意味同じなのではないかと思う。法話や座談を通して聴聞を重ねる中で自分の中に本当に具体的に気づきが起きてくる。これは本当に起きてくるからおもしろい。究極の「なんまんだぶつ」の瞬間もそのように思う。そういう意味ではPCAも仏道も共通の軸上にあるように思う。ちょうど串刺し団子みたいに・・。ただし、PCAは根底を突いていないというか、つまり、生死の迷いとそこからの出離という深くて澄み切った自覚の心境は仏法を通して始めてこの身に体験されてくるもののようには思う。

 ここが、PCAと仏道(Dharma)が出遇う所以があるように思う。二重構造でつながりながら1つの統一された道というか。

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