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2019年8月 6日 (火)

ノート:「仏法(Dharma)」とは

「法(Dharma)」は、釈迦牟尼仏の悟りの知恵によって明らかにされた無上正覚の内容とその教えであるが、言い方を変えれば、釈尊の悟りを実現させたダイナミックな真理そのものでもある。分別知を出ない人間の認識を超えた智慧と存在の実相とが一つになった不可思議の境地である。したがって、仏教の根本は「法」「悟り」「智慧(般若)」にある。

(西光義敞『育ち合う人間関係』本願寺出版社 p.188より引用)

 

 これについてほんといろんな思いが湧く。仏法は仏教といわれるような単なる思想ではない。もちろん哲学でもない。思考システムではない。私自身の実存に関わるものである。「悟り」、「般若」を開くための具体的な実践道である。仏道とも呼ばれる。

 「釈尊の悟りを実現させたダイナミックな真理そのものである」。

 「分別知を出ない人間の認識を超えた智慧と存在の実相とが一つになった不可思議の境地である」 。これにはしびれるほど心が動かされる。人間以外の何ものになるわけでもなく、かといって、分別知に振り回される人間でもない。まさに不可思議の境地だ。

 などなど、とても意味深い言葉ばかりだ。

 では、真宗でいう「本願力に遇う」、「信の一念」、「廻心」、「信心決定」はこれとどう関係するのか。とても大きな問題である。私には、信の一念の瞬間は、そのような大きな目覚め、信知が我が身に体現(真心徹到)する瞬間であり、それ以前と以後とには境目があることだと思う。これを悟りといってもあながちおかしくないような気もする。もちろん現生で仏陀になるということではないが、諦かにそれが確定された道(摂取不捨)であるからだ。

 すぐにまとまった言葉には出来ないが、今後も我が身に深めて行きたい。

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