リンク

2018年12月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ

仏教

2018年12月13日 (木)

親鸞聖人『現世利益和讃』に想う

 こんぴらさんから刺激されて親鸞聖人の現世利益和讃が心に浮かんできた。念仏の行者は、あるゆる天地の神様に(もちろん海の神様も)尊敬され、守られるのだ。仏教は決して神様を否定しているわけではない。この頃の私は神殿に参るとき音を出さずに手を2回合わせ、なもあみだぶつと称名することにしている。

続きを読む "親鸞聖人『現世利益和讃』に想う" »

2018年12月12日 (水)

こんぴらさんはインドの神様クンビーラから来ていた

 金刀比羅宮は「こんぴらさん」と呼ばれて親しまれている。「こんぴらふねふね、おいてにほかけてシュラシュシュシュ」。海の神様だ。言葉の響きからしてこれはどうも日本の神様とは違うなと思った。「コンピラ」、「ビシャモン」などとよく似た響きだ。きっとインドの神様じゃないかとふと思った。

 現地に身を置いてみてますますこれは善通寺と関係がありそうと思えてきた。象頭山の麓にこの讃岐平野は広がっている。この山はほんと鼻の長い象の頭と恰好がよく似ている。

続きを読む "こんぴらさんはインドの神様クンビーラから来ていた" »

2018年12月 7日 (金)

報恩講厳修

 昨日、一昨日は相生法林寺報恩講にお参り。法要あり、ご法話あり、座談あり、食事あり・・・。すべてが整っている。ご講師は松尾宣昭師。本願寺発刊の『拝読 浄土真宗のみ教え』により浄土真宗の骨格を頂く。


47572786_10157075024507160_199485_7

続きを読む "報恩講厳修" »

2018年12月 4日 (火)

忠臣蔵-ここ2週間のマイブーム-

 ちょっと話題は変わって忠臣蔵の話。ひょんなことから赤穂図書館に置いてある「最後の忠臣蔵」のTVドラマ版を見たことがきっかけで興味を持った。よく考えたら「忠臣蔵なんて・・・・。」という思いがあって今まで見たこともなかった。「最後の忠臣蔵」は討ち入りが終わり、内蔵助からの命を受けて生き残った2人を焦点にあてたドラマで本筋ではない。その忠臣蔵を見たくなった。
 

続きを読む "忠臣蔵-ここ2週間のマイブーム-" »

2018年12月 1日 (土)

D-pca実践の具体像

 D-pcaは、「人と人との関係」、「人と人との関係と仏法との関係」との二重構造になります。ちょうどヨコとタテの関係とも言えると思います。それを実践の形としてホームページに表しました。共談援助の案内文が出来たことに伴ってD-pcaセンター活動の全体像が出来上がったことになります。

続きを読む "D-pca実践の具体像" »

2018年11月30日 (金)

「共談聴聞援助」-真宗聴聞の援助

 「共談聴聞援助」の案内文を掲載しました。今までも実践を続けて来ましたが、それを文章化してみました。真宗聴聞の援助です。当センターホームページを見て下さい。リンク→「共談援助」

2018年11月26日 (月)

連休前から楽しく充実した日々だった。

 金曜日(23日)はもとより、土曜日(24日)、日曜日(25日)と結構充実した日が続いた。

 突然の来客あり。金曜から2泊された。いずれも夕食を共にする。新鮮で楽しい一時であった。

 日曜(25日)は、浄土真宗華光会の法座。仏法に潤った一時であった。我が身の姿と倦むことのない弥陀の本願力にただただ打たれるのみ。

 木曜日(22日)も含めて忙しく充実した連休であった。楽しい日々だった。

 ということで、新しい週が始まった。どんな週になることだろう。

11月のD-pca研究会

 先週金曜日(11月23日)は、月例D-pca研究会。まずは、輪読会。西光義敞『入門真宗カウンセリング』札幌研究会編、(第六章)南無阿弥陀仏、「阿弥陀仏」、「仏と如来」、「本願招喚の勅命」の節を読む。

続きを読む "11月のD-pca研究会" »

2018年11月 5日 (月)

聖典講座・仏説観無量寿経 第七観華座観ー私の味わい

 昨日は、浄土真宗華光会の聖典講座に出席した。仏説観無量寿経より十五段華座観を頂く。釈尊が浄土に往生するための観法が説かれていく。まずは身近な日没や水や地を観ずるところから始め、浄土の荘厳を観ずることが説かれていく。ここになるといよいよ思議を超えていくので凡夫にはますますピンと来なくなる。この十五段にいたってまずはお釈迦様がイダイケ夫人に向かって「諦聴、諦聴」とおっしゃる。苦を除く法を説くからしっかり聞けと。きっとこの前のところでイダイケ夫人は疲れもあり、居眠りをされたと増井悟朗師は解釈された。まさに私にはそうだ。ここから場面が急展開する。釈尊のその言葉に呼応して阿弥陀仏が空中に立たれるのである。「住立空中尊」である。それはまばゆくばかりに輝いていた。

続きを読む "聖典講座・仏説観無量寿経 第七観華座観ー私の味わい" »

2018年9月25日 (火)

イスラエルの友人との会話

 昨日イスラエルの友人ヤコブさんとスカイプで会話した。彼と始めて出会ったのはもう6年前になる。京都訪問に来られていてその時に出会い、案内をした。2人の共通点はイギリスの仏教徒デイビッド・ブレイジャーさんである。ブレイジャーさんとは2006年に京都で始めて出会った。西光義敞先生との対談が行われた時である。Yさんはそのブレイジャーさんから仏教(特に浄土教)と心理療法を学ばれている。そのつながりから私に連絡を下さり、京都で出会うことになった。

 Facebookでのやりとりを続けていて昨日はひょんなことからスカイプで話したいということになった。まさに6年ぶりの出会いである。遠いイスラエルと日本が今ここで画面を通してお会いすることになる。まるでそこにおられるようだ。なんとも不思議な感覚である。

 話は、真宗と心理療法に関すること。両者の位置づけはどうなっているかという疑問である。「心理療法(特にPCA)人間に関心を持っている。一方親鸞の関心は阿弥陀仏の本願にある。そこにどういう出会いがあるか」というのがYさんの疑問だ。そう、ここが大事なところだ。私は真宗も個人を扱っているとかねがね思っているし、まさに、今ここに私の中に顕現している。イキイキと生きている。真宗は決して教義や思想として存在しているものではない。こんなことを私の例を通して話した。また、親鸞さんの書かれたものは一見教義について書かれているようであるが、そこには親鸞さんご自身の法に出遇われ、仏陀になることが定まった止めどもない喜び・悦びの表現でもある。歎異抄の「親鸞一人がためなりけり」という言葉を振り返り、お話をした。すごいことにYさんはこの一文を知っておられる。

 心理療法の目的である自らの体験過程に開かれることについて、本願に出遇うことについての話にも及び、本願に出遇うことは自らの体験過程に出会うことよりもさらに根本的なことであることも身振りを交えながら話した。

 なにかが交流した感じがした。

 その後は、奥様のオルナ様にも久々に会い、お孫さん達も紹介していただいた。3人のとてもキュートな子ども達を見ることは本当に楽しかった。もちろん私の妻もそこに居合わせた。

 いやはや、とても不思議な瞬間。改めて不思議なご縁を思う。6年前に京都、美作の誕生寺を私たち夫婦と一緒に訪れた想い出が蘇ってきた。同時に、私の中に常に働いているお念仏の働きにも改めて思いをいたした。