先日11月7日(火)は「D-pca研究会」。いつものオープニング・ミーティングの後、西光義敞『暮らしの中のカウンセリング』有斐閣、輪読。聞くについてさらに深めた。第3章第1節「人間関係の焦点は「聞く」ことにある」後半、第2節「相手の気持ちが聞けているか」を読んだ。(p.123-139)。
D-pcaカウンセリングの特徴は、仏教(中でも真宗)とPCAが交流しているところにある。それらが混ざり合ったところに妙味がある。今回持たせていただいた時間はまさにその世界だった。
日常生活のしんどさから始まり、同時に続けておられる仏法聴聞の世界も話される。両者をとおして今、ここに働いている、まさにこの自分自身に働いている阿弥陀仏の働きに心を致す。信知する。そのような時間だったと思う。味わい深く、静かな時間であった。
なんだか抽象的で申し訳ないが私が書けるのはここまでだ。
10月25日、26日と室戸岬方面に一泊旅行しました。前から行ってみたかったところです。夕陽が美しかった。想像とは違って室戸岬はいろんな形をした岩で一杯のところでした。中岡慎太郎像にも会いました。
道中見た太平洋は雄大。残念ながら写真では表せません。見とれていてふと気づいたら写真を撮っていないってこともありました。ウミガメが産卵に訪れるという阿南市大浜海岸も訪れてきました。季節が外れていたのでご対面というわけにはいきませんでしたが白砂に青い海はほんと綺麗でした。
往復600km。思ったより遠かったな。
おまけとしては始めてグランピング(glamping)を体験しました。どんなものか心配でしたが思い切って行くことにしましたキャンプの豪華版というか、テント張りなし、準備なし、後片付けなし、けれども自然を満喫出来る。グラマラスとキャンプをくっつけたれっきとした英語だそうです。おもしろい企画でした。 BBQ が豪華でした。スタッフの対応が楽しくて心が和みました。写真をどうぞ。
2週間程前になる。10月10日(火)はD-pca研究会。幾つかの都合が重なって2ヶ月ぶりになった。いつものようにオープニング・ミーティングで「困っていること」、「やりたいこと」、「わかちあいたいこと」を出し合った。それぞれの今のところが共有出来た。「やりたいこと」としては前回検討した西光義敞著『暮らしの中のカウンセリング-育ち合う人間関係-』有斐閣 1984の第3章から読み始めるということが出された。
前回投稿からあっという間に1週間が経った。結構忙しい1週間であった。突っ込みになってしまうが振り返っておきたい。
9月30日(土)は、ロシア・パーソンセンタード・アプローチ協会のカンファレンス。ここ数年招待が続いている。モスクワにも泊まらせていただいたこともある。ここ2回はZoomで参加している。今年も招待して下さった。トップ・バッター。2時間の枠を取って下さった。
先週一週間は2つの大事なことが同時進行していて結構疲れた。1つは、PC楽譜ソフトによるパート譜作り。もう一つは、モスクワで行われている「ロシア人間中心アプローチ協会」でのプレゼンだ。
10日ほど前のことになる。9月10日は小野剛蔵さんギター・サロンコンサート。毎回毎回の楽しみになっている。幼稚園から大学卒業まで過ごした八尾の街に行くのもまた楽しみの一つである。懐かしい。子どもの頃は近鉄線が高架になっていなくて河内の情緒がたっぷりだった。2駅離れた高安に住んでいて日曜日に家族で商店街によく出かけたものだ。駅前にある店で冬はお好み焼き、夏はかき氷を食べるのが楽しみだった。高架になったのもずいぶん前だが子どもの頃の記憶とは違っている。それでも河内の雰囲気がするのがおもしろい。ここ播磨から出かけるとそれがよくわかる。
今年もロシア・パーソンセンタード・アプローチ協会(Russian society of person-centered approach)主催のカンファレンスに呼んでいただくことになった。もちろんZoomでの参加である。
コロナ問題前に2度訪れたがすっかり黄葉した木々が美しかった。帰る頃には初雪だった。12年前の5月にもPCAフォーラムで訪れたので都合3回モスクワを訪れたことになる。彼らの温かさにふれたことが何よりだった。一刻も早く自由に行き来できるようになってほしいと心から思う。
暑かった夏もいよいよ終わり、空の色、風の具合、山々の木々の色合いを見ているといよいよ秋に入ったなと思わせる。こうやって季節は回る。きっちりと3ヶ月毎に季節が入れ替わるのはやはり日本の特徴だなと思う。面白いのは暑い盛りにもうすでに秋の気配が始まっている、寒い盛りに日差しなどいよいよ春の風情が忍び寄っていることだ。その辺りを暦はうまく表現している。
昨日は大阪八尾市小野ギタ-研究所にてアナリーゼ研究会。いくつかの曲を例に楽曲分析を実際に行う。住宅購入の例えはすごく面白かった。
いろいろ思うことあってセンター名を元の「育ち合う場研究センター」に戻すことにしました。活動内容はそんなに変わらないですが・・。いろいろ思いがあってまた書きたいと思っています。
「D-pcaは手立て(アプローチ)であってそれ自体が目的ではない。育ち合う場を作ることが目的である。」、そんなことを改めて思いました。詳しくは追々書いていきます・・。
先日7月11日はD-pca研究会。月例で進めている。いつものようにオープニング・ミーティングで「困っていること」、「やりたいこと」、「分かち合いたいこと」を出し合う。それぞれに今思っている事が出された。「やりたいこと」では継続している輪読をしたいというプランが出た。
梅雨のある日。蓮のパワー。ヤマサ蒲鉾「蓮の花苑」にて。途中ですごい雨になって・・・。葉にできる水たまりが綺麗だった。それがたまって茎が傾きサーと流れ落ちると同時に蓮が元の位置に戻る。この動きが面白かった。
ヤマサ蒲鉾、春は芝桜が見事。入場は無料だ。いい地域貢献だなと思う。写真をどうぞ。
D-pca研究会。月1回のペースで確実に進めている。忙しくしている間に書くのが遠ざかってしまって5月分、6月分をまとめて書くことになった。カール・ロジャーズ著・畠瀬直子監訳の『人間尊重の心理学-わが人生と思想を語る』創元社の輪読を進めている。原著はRogers, C.R. A Way of Being。
昨日は「D-pcaの集い」が行われた。今回で13回目になる。4名の参加者があり欠かさず続けられている。うれしいことだ。今回も充実した場。そんな中でもゆったりしていたのも面白かった。
家族関係を見たり、そこから起きてくる本能、欲求、情動、感情表出の言語化、行動化、身体化という3つのチャンネル。カウンセリングやグループの意義をそれぞれの状況に即して深めたり検討し合えたことは印象的だった。
それぞれが思いを共有、交換し、それが波紋のごとく広がり、織りなされていく光景は生き生きとして意義深かった。
次回は10月15日(日)。午前10時~15時。オンラインではなく対面。詳細はここをどうぞ
昨日は小野剛蔵氏のコンサート。大阪八尾市。毎回毎回私達の大きな楽しみの一つになっている。今回は神戸で活躍されている山崎繁氏を招いてのジョイント・コンサート。2人の個性が対照的なのがとても印象的だった。山崎氏はすごみのある鋭い演奏。小野氏はふくよかな暖かい演奏。私にはジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスのデュオを思い起こさせた。
先日6月4日は71回目の誕生日。これも節目のような気がする。どちらかというと体が丈夫ではなかった私だが成人してからはなんとかここまでやってこれた。不思議なものだ。60代に一節目があってそれから始めた糖質制限食も功を奏しているようだ。もちろん何もかも万歳ということでもないが・・。老化は確実に進んでいる。そんな中でも楽しい毎日を過ごさせていただいている。
5月8日から4回シリーズで行っていた講座「カウンセリングと真宗」が29日に終わった。内容のまとめ、それをどう具体的に話していくか、時間管理、などなど特に5月中はこの事で頭が一杯であった。内容のまとめにはKJ法はとても役に立った。
なんとこんなにも私の中に情報が存在しているのかと改めて驚いた次第。思えばカウンセリング(PCA)も真宗もそれ自体とても大きくて深い探求領域。それが交流しているアプローチなのだからそれも当然だ。今後このブログでも取り上げたいと思う。
終わった今はほんとホッとしている。今後の課題も見えて来ている。まだもって頭の中は忙しい。さまにブレイン・ストーム(嵐)とはこのことを指すのだろう。
昨日はラ・ホイヤにあるCSP(Center for Studies of the Person)で行われているエンカウンターグループに参加。Zoomでボタン一つでそこまで飛んでいける。画面を開けると英語の世界だ。ファシリテーターのウィル(Will)さんは「ラ・ホイヤ・プログラム」でファシリテーターを続けておられるベテラン。これはまさにエンカウンターグループの老舗中の老舗だ。彼のありのままがしっかり伝わってくるグループである。
昨日5月17日(水)、広島で真宗カウンセリングを学習・研究しておられる「みみずくの会」から招待いただいてワイガヤ・リトリートグループを行いました。アットホームで交流のある味わい深い集いになりました。暖かい感じが残っています。
体験学習をということで実益も兼ねてワイガヤ・リトリートグループを行うことにしました。このグループの意義を改めて確認したように思います。このような機会を下さってありがとうございました。
先日日曜日(14日)は小野ギター研究所ギターサロンでの「アナリーゼ研究会発表コンサート」。アナリーゼとは楽曲分析と訳されている。小野氏の言葉を借りると「ざっくり申しあげると、目の前の楽譜から何をどのようにして感じ取り、それを如何に実際の音へ繋いで楽曲として仕上げていくかということを考える技法と思っていただければ幸いです。」(案内パンフレットより)。
今週の月曜日(5月8日)、講座「カウンセリングと真宗」が始まった。第1回目のテーマは「カウンセリング(PCA)と真宗と私」である。縁あってPCAと真宗双方に身を置く学習をする中から自分の中で起きた来た気づきを話した。
話している内に次々に思いが出てきて溢れる思いで一杯であった。気がついたら1時間半を超えていた。思えば20才の時にこれらに出会って以来私のライフワークになってしまった。これからも続く。そんなことに改めて思いをいたすことになった。
時間管理の難しさも改めて思ったがこれはこれで私が生きていてよかったのかなとも思う。楽しかった。次回は15日(月)。ロジャーズのPCA定義を味わってみようと思っている。質疑応答の時間も取れると思っている。
5月。晴天の日は空が青く美しい。まさに五月晴れ。山の木々も緑を増していく。新緑の季節。外へ出たくなる。須磨離宮公園、播磨平福(ひらふく)シャクナゲの里に行ってきた。
須磨離宮公園は洋風庭園。フランス式とイギリス式の統合だ。美しい形だ。花についてはちょっと間隙がある。バラには少し早かった。
しゃくなげの里。名の通りシャクナゲが綺麗。藤も豪華だった。写真をどうぞ。
先日22日(土)は佼成カウンセリング研究所カウンセリング講座で「仏教とカウンセリング」というテーマで講義をした。朝9時から夕方4時までの集中講義である。オンラインで行われた。オンラインでのこのような長期講義は初めてなのでどうなるか少々心配だったが事前にテスト時間をいただいたこともあり、思いのほか自由に話しが出来た。受講者の様子も画面を通じて伝わってくるので1人孤独に話しているという感じでは全くなかった。もちろんリアルの重みには負けるが・・。
長きに渡って続けているカウンセリングがある。まさにその人の人生に関わってきたような感じがしている。同時にその人の家族にも会ってきた。ほんととても大事なことを感じ、見させてもらっている。
結局、成長というのは何か自分とは違うあるものになるのではなく、まさに本来の自己に戻ることではないかと思うのだ。あるがまま、自然、一致、自己一致、そのような言葉で表せるものだ。こんなことがこの場で展開している。これからそれが言葉に成っていったら良いなと思っている。ひとまずメモとしてそれをここにあげておきたい。カウンセリングはまさに育ち合う関係だ。
昨晩は国際エンカウンターグループでした。もちろんZoomです。日本人3人、イギリス人1人のグループとなりました。日本語、英語をなんとか駆使しながらヤリトリを進めて行きました。英語は勿論ぎこちないです。とまどいます。けれどもお互いを理解しようという姿勢は変わりません。
昨日は法林寺輪読会。道中新緑が目に染み始めていた。桜の花も散り、どんどん季節が移り変わっていっているのを改めて感じる。西光義秀『私のものさし 仏のこころ』探求社を読み進めている。今回読んだところは、「仏法の教えに従っていきる」(p.37-39)である。
昨日は京都へ行ってきた。スペインから来られている友人の友人と会って話しをしてきた。初対面である。2人とも対人援助の仕事をしている。お互いを紹介しあった後ディスカッションとなる。援助者のプレゼンス、特にcompassion (思いやり)がとても大事になる。ここで共鳴しあった。
先日8日(土)朝から急に思い立って河内国上ノ太子叡福寺(えいふくじ)を訪れる。場所は大阪府南河内郡太子町。聖徳太子の御廟だ。私は大阪府八尾市で大きくなったのでここは子どもの頃から縁のあるところだ。よく父がドライブに行っていた。私もよく一緒に着いていった。父は写真が好きでここの写真をよく撮っていた。あの静寂をよく憶えている。さらに高校生になってから自転車で1人で行ったこともある。ちょっとした遠乗りだった。いろんな思い出が蘇るところ。
先日4月4日(火)はD-pca研究会だった。いつものようにオープニング・ミーティングから始める。輪読を始めていきたいというプランが出る。また日常生活のこと、担当している講座の紹介が分かち合われた。
昨日は佼成カウンセリング研究所と講義の打ち合わせ。もちろんZoomだ。相生、大阪、横浜と距離を超える。顔合わせが楽しかった。暖かい雰囲気だ。動画共有のテストもさせてもらった。本番は4月22日(土)。いよいよ楽しみになってきた。
今日から4月。桜が爛漫としている。月末に佼成カウンセリング研究所での講義がある。もう9年近くご縁を結ばせていただいている。ここしばらくその準備に集中していた。科目名は「仏教とカウンセリング」。西光義敞先生が担当しておられた科目を引き継ぐことになった。身に余る感じだ。
今年もいよいよ桜の季節となった。毎年ほぼ決まったときに決まったように咲く。その法則性が不思議である。もっとも毎年桜花の趣は微妙に違うけれど・・。今年はまだ地表が少し冷たい中に咲いてたように思う。これも面白い。写真をどうぞ。加古川教信寺、姫路桜山公園にて。
毎回充実した時間をもたせていただいている。次の言葉が浮かぶ。
どの方向に進むかを知っているのはクライエントである。クライエントの自己探求に付き合っていくことは充実しているし、スリリングである。毎回ダイナミックな一時を過ごさせて下さるのがうれしい。
先週3月12日(日)は楽しみのひとつになっている小野剛蔵サロンコンサート。小野剛蔵氏は高校時代の先輩だ。今回は松永みどり氏を招いてバイオリンとのデュエット。タイトルは「『木魂(こだま)』の響きが あなたをつつむ」。前半はギター・ソロ。後半がデュエット。曲目は有名な曲達が選ばれていた。
少し前のことになる。3月14日(火)は法林寺輪読会だった。14日と日が決まっているので憶えやすい。西光義秀師『私のものさし 仏のこころ』探求社を読んでいる。今回読んだところは、P.35-36。「凡夫といふは・・・・・」である。
昨晩はワイガヤ・リトリートグループ。場所は相生法林寺。忙しい日常生活の中でしばし時間を止めてゆっくりと聞き合う。ただそれだけのことといえばそれだけなのだが、それが面白い。
世話人をしているがこの世話人が「聞いている」ということがとても大事だ。感覚的には体の中心に注意を向けて響いてくる感じを感じとっているという感じだろうか。言葉にするのはむずかしいけれど・・・。
そうしていると気が縦に循環していくし、お互い横にも循環していく。これは不思議だがまさにそんな感じ。心の風通しが良くなる。心のエネルギーが流れ、循環する。このことで何か心がほどけていく。もちろん体もほどけていく。暖かく、楽な感じになる。毎回毎回、こんな時間をもらっている。豊かな時間だ。
このページをどうぞ。次回は4月20日(木)午後7時半から。
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