2021年6月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »

2006年9月

2006年9月27日 (水)

「ワンデイ育ち合う人間関係を学ぶ集い」(9月24日)

 今回は第2回目。日曜日の一日を過ごして行った。人数が少ないぶん、ゆったりとしていて、深く、充実していた。以前に、会った人けれど、しばらく離れていて、ホームページを見て参加された。かつて、トーマス・ゴードンの「P.E.T-親業-」を読んで関心を持った。ロジャーズのカウンセリング研修会に学生時代に出会ったという具合に、関心を持つ人は、ちゃんとその流れに沿って集まってくるのだなと思い、うれしくて不思議だった。縁を感じる。

 今回の研修では、午後からのひと時を、3人一組で演習を行った。「エンパシー・ラボ」と呼んでいる。演習といっても、単に、聴く、話すのスキル練習ではない。今の自分を語り、聞き合っていくので、そこに深い交流が生まれる。自分自身との交流、探求、それを共有しているメンバーとの交流が起きてきて、カウンセリングや出会いグループで起きていることとまったく変わらない。15分間、話し手、聴き手、観察者を決めてやりとりをしていくのだ。時間が決められている分、しっかりと聴くことになっていく。また、話し手は自己探求をしていくことになる。語られることは、自分の人生がそこに語られる。充実した時間だった。

 別れてからもきっとそれぞれがそれぞれの道を進む中で、いろんな深まりが起きてくる。そんなことを思う集いであった。次回は、11月下旬を予定している。

2006年9月26日 (火)

「臨床ソーシャルワーク研究会」(9月21日)-小学校低学年の不登校事例-

 今月の研究会は事例検討。私の事例を提出。話し合った。小学校低学年の不登校の事例。学校に行けない理由は身体症状にある。この子の場合、頭が痛くなる。特に、思い当たることが学校では起きていないのだけれど、登校の際に頭が痛くなる。また、発達面で遅れがある。特に、やりとりがうまくいかない。小学校低学年で起きる不登校は母子関係が大きく影響している。お母さんから離れることに不安が伴い、それが体の症状になって表れる。

 では、なぜ不安が伴うのか。それは、乳児期にしっかりと母親との関係が出来ていなくて、この絶対依存の時期にしっかりと依存できていないからである。この事例の場合もそうだ。放っておけば子どもは育つと思っていたという。面接ではここのところを扱い、お父さん、お母さん、本児に来てもらって三者合同で話し合っていく。そして、タッチング、添い寝、入浴を進めていくのである。これはお母さんにしてもらう。お父さんではダメだ。お父さんはそれを理解して、支えてもらうようにお願いをする。そうすることで、足らなかった母子密着、絶対依存を再保証していくのである。

 しかし、このことは意外に難しい。いろんな障害が出てくる。特に、お母さんが幼少時代にそのお母さんにしっかりと愛情を注いでもらえていないので、どうすることが子どもに愛情をかけることかが良くわからない。ここが大問題なのだ。面接では、お母さんの幼少期のつらかった気持ちを表現してもらうことがとても大事になってくる。この場合もそうだった。つらかった幼少期を涙と共に何度も語られた。そうすることで、子どもが受け入られるようになっていくのはとても不思議だ。

 子どもは一直線に親から離れていくわけではない。むしろ、その逆で、お母さんに体をすり寄せたり、おっぱいを触ったり、赤ちゃん言葉になったりと大変である。赤ちゃんに帰っていくのである。退行という。子ども自身が「ぼく赤ちゃんに帰っていくの」というのがとても不思議である。しかし、この退行はそこにとどまっているものではない。こうして赤ちゃんに帰ると今度は元気になってくる。充分に戻ったらあっけないほどお母さんから離れていく。「お母さん、ぼく、もう大丈夫」と言った。秋には登校する運びとなった。

 この面接の様子は克明に記録されているので、その記録を読みあうことで進めていった。面接の様子がリアルにわかって良い。かなり長い記録になるので、来月にまた続きを読んでいくことにした。詳しくは下記の本を是非読んで 下さい。

黒川昭登 『不登校カウンセリング』 朱鷺書房

2006年9月19日 (火)

プチ・ドメイン取得

 BIGLOBEのプチドメインを取得した。http://chodr.ptu.jp/ となる。ずいぶん短くなって、結構気に入っている。今まではすごく長いのとチルダ( ~ )が入っているので、特に名刺からタイプでURLを入れて下さるときは大変だった。これでアクセスしやすくなると思う。よく考えたら BIGLOBEもあの手この手で儲けるなと思う。チルダぐらい最初からはずしておけばよいのに・・・。ま、ともかく、これでアクセスしやすくなると思う。もちろん、今までの長いURLもそのまま使える。

2006年9月13日 (水)

「グループ・リトリート(愛称『ワイガヤの会』)

 しばらくぶりのUPである。夏はやっぱり暑い。心の動きや体の動きはスローになる。涼しくなってきて、心身共に動き出してきた感じだ。やはり暑いさなかは休むように出来ているのではないかと思う。8月はいろいろ気分転換が出来て良かった。

 今週月曜日に相生拠点で9月ぶんが行われた。8月は夏休みにしたので久しぶりだった。この集いを言葉にするのもこれまた難しいけれど、ちょっと紹介してみたくなった。1.月一回、決まったところで集まる。2時間。2.特に、メンバーは固定していなくて来たい人が来たくなったときに集まる。3.中では何を話しても良い。また、話さなければならないということはない。心の動きに任せていることが一番良い。とまあ、こんな具合。これって一体、普通の井戸端会議とどう違うの?こんな事って意味があるの?という疑問が湧いてくるのではないかと思う。そういう考えも成り立つかも知れない。けれども、参加した人によると最初はすごく戸惑われるらしいけれど、慣れてくるとなかなか面白いし、自分を振り返ったり、リラックスできたり、そもそも忙しい中でゆったり時間をもつことに意味があったり、自分への気づきがあったりと結構意義があるようだ。しかも、続けていく内に、「話す」、「聴く」というコミュニケーションの体験学習にもなるようである。こちらが予想していたよりも遙かにインパクトがあるようだ。

 この会には会費が必要である。2,000円。高い?安い?ただ集まるだけなのに?という疑問が湧くに違いない。そう、会費をいただく以上はこちらも気を付けていることがあるのだ。一つは、参加者の気持ちや思いを丁寧に聴くこと。その響きを感じ取ることである。そして、それは聴きっぱなしにしないで必ず理解が正しいかどうか言葉で確認することにしている。もう一つは、参加者がどんな気持ちをもたれようが否定しないことである。これは結構難しい。うまくできるとこちらも自然で楽しくなる。そして、もう一つは、メンバーと一緒にいながら自分の中にわき起こってくる心の流れを敏感にありのままに感じ取っているということである。自分自身を聴いているともいえるだろう。これらって簡単なようで結構難しい。特に、これらのことの意味が体でわかることが難しい。けれども、これがうまくできたとき、この一見いい加減な会合が意味あるものになって来ることがやればやるほどわかってくる。集中が必要なので疲れることは疲れる。もっとも、「一仕事をした」という良い疲れである。

 あるメンバーの一人が、この会のことを、「整理された雑談」と表現されていた。言い得て妙というか、とてもうれしい表現であった。

 この会はこれからも続いていく。いろんな出会いがあることだろう。楽しみである。 

« 2006年8月 | トップページ | 2006年10月 »