2021年9月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »

2008年7月

2008年7月28日 (月)

ボン・ボヤージ

あっという間に一週間が経つ。大学講義前期の終了、グループリトリート(ワイガヤの会)、守山学園職員との被虐待児児童処遇研修、カウンセリング面接研修等と続く。どれもエネルギーを使っている。土、日は休憩を充分に取った。今週は大学とCHODRの様々な準備がある。結構仕事があるものだ。有り難いことだ。

 金曜日の研修ではかつては私の学生であり、今では立派な児童ケアーワーカーになっている「友人」が訪ねてきた。被虐待児処遇を中心に研修を始めることにしたのだ。といってもチャイルドケアーの根本はひとつなのでそこをしっかりと探求することになる。今までの経験を話してくれた。学生時代にすでに考えをまとめていたのであるが、充分な現場経験の中でそれを検証する姿勢でいつも取り組んできている。今日は、それらの思いを整理し、確かめる一時となった。非行など行動化傾向にある児童と遵守事項を取り決めて関わっていった事例、子育てとは「・・・する」ことではなく、「関心を持つことである」とか様々な珠玉とも言える言葉が飛び出してくる。その成長ぶりに驚くと同時に、いよいよ彼は私を超えていくなとも思った。これからは、同僚、友人、共同研究者になっていくと思った。大変心強く、うれしい時間であった。今後の彼の活躍が楽しみである。共同研究も是非していきたい。

 カウンセリング面接研修に来てくれている一人も現場経験を積んだ上で大学院受験に取り組み始めている。これまた今後が楽しみである。

 ワイガヤでは、子育てをめぐってスリリングな話が展開した。これまたプロセスそのものだと思った。

 航路は行く先も楽しみであるが、後に出来ていく航跡を見るのも楽しみである。ボン・ボヤージュ。

2008年7月20日 (日)

臨床ソーシャルワーク研究会-7月17日-

 月1回のこの研究会。今回は、「ケースワークの流派」について。だいぶ前にまとめた私の原稿があるのでそれを報告した。ケースワークの流派には大きく4つがある。「診断主義学派」、「機能主義学派」、「問題解決アプローチ」、「行動主義学派」である。現在では、エコシステム論によるシステム理論が主流で、さらに多数のアプローチが存在しているようである。これについては、フランシス・J. ターナー (編集), Francis J. Turner (原著), 米本 秀仁 (翻訳) 『ソーシャルワーク・トリートメント―相互連結理論アプローチ〈上・下〉 中央法規出版が詳しい。 

 私は縁あってC. R. Rogersのperson-centered approach (pca)を中心に深めて来た。このアプローチはもともとは「機能主義学派」との出会いによって生まれてきたものである。Rogersはこの出会いについて、最初の著『問題児の治療』(ロジャーズ全集第1巻)に詳しく述べている。「ワーカーとの今ここの関係そのもの=治療」であること。その過程は知的に見えるよりも感じるものであること。人間の意志や創造力に重きを置くことなどpcaの持っているものがこの機能主義学派にすでに存在しているところが大変おもしろい。サイコセラピーと違うのはクライエントが訪れる機関のサービスがその重要要素としてあげられているところであろう。これも大変興味深い。

 日本に普及しているperson-centered approachを社会福祉現場の人達がもっと力を入れて学び、それが種々の現場で活かされていくと大変おもしろいと思う。だが、現実にはなかなか・・・。社会福祉対人援助現場の人達の主体的な学びが遅々として進まないのが現状である。もちろんこれはRogersだけにとどまるものではない。精神分析にしろ、行動療法にしろ社会福祉現場には本当に浸透していない。もっと真剣に学ぶ必要があると思う。このままでは社会福祉の底上げなど望み薄だ。ただでさえ縮小の動きなのだから・・。

 こんな思いをいだいていつも仕事をしている。現状の深刻さにたじろぐことが多いが気を持ち直してまた歩き出すのである。私としては今までの取り組みを公表していくことが課題である。

 現在読んでいる文献: 黒川昭登著『臨床ケースワークの基礎理論』 誠信書房

2008年7月15日 (火)

まさに川の流れの如く

昨日は相生で行っているワイガヤの会。日々の暮らしはなんとも忙しい。これして、次これして、そしたらまたこれして・・・と次々と続く。一つかなえば、一つかなわず、それがかなわうとまたひとつかなわず・・・。これの繰り返しだ。もちろん楽しいときもあるけれど、苦しいことが多々ある。娑婆は我慢しなくてはならない世界という意味だそうだがまさにその我慢が必要なことが多々ある。そんな中で一つところに座ってすべてを止めてゆっくりとする。話たくなったら話し、そうでないときは話さない・・・。そんな場って必要だなとつくづく思う。なんとなく「間」が出来る感じ。同時に自分自身を振り返ることも出来る。今回もそんなことを感じた。

 ところで、数日前にポルトガルの「パーソンセンタード・サイコセラピーとカウンセリング・アソシエーション」 "the Portuguese Association for Person Centred Psychotherapy and Counselling (Associação Portuguesa de Psicoterapia Centrada na Pessoa e de Counselling)"からCHODRのホームページをリンクしたとのメールをもらった。代表のJoãoさんとは一度ラホイヤでお会いしたことがある。なんだかうれしかった。光栄だ。リンク先をクリックしたらいつものネコの写真が出てきた。ただし、英語ページはほんの少し。これから増やしていかねばと思う。もちろんポルトガル語で書けたらいうことはないのだがちょっと今からでは遅すぎる。ちなみにそのアソシエーションのウェブページをリンクする。英語とポルトガル語のバイリンガルだ。

http://www.appcpc.com/

http://appcpc.com/eng/

 またまた今週も活動は続き、出会いが続く。

2008年7月 7日 (月)

児童養護施設でのケアワーク学習会

今日は児童養護施設守山学園での職員研修。ケアワーク学習会と名付けて月1回の地道な学習を続けてきた。もう15年以上のお付き合いになっている。今年度はスタッフの創意工夫を活かしながらの研修になっている。毎回最初の10分ぐらいでその時にやりたいことを決めて進めていこうということになっている。今日は、ケース検討ということになった。

 小学校1年生で学校に行けない子どもの事例となった。あまり詳しく書けないので要点だけになる。やはりこの子も不登校の何拍子かが揃っている。朝になったら「お腹が痛い」という。なんとか連れていこうとしたら固まった状態になる。泣きじゃくる。けれど、10時過ぎて見に行ったら他にも行かない子供同士で元気に遊んでいる。前の晩には宿題をすませ、学校に行く準備をしている。この頃は「抱っこ」、「肩車」、「寝る前に先生にくっつき、上に乗る」、赤ちゃん帰りが始まっている。という具合だ。ともかく典型的でわかりやすい。

 まずは、なぜ行けないのかという検討から始めた。理由は単純なのだが意外とわかりにくいのが興味深い。ズバリ、「お腹が痛い」から行けないのである。この子は毎朝腹痛に悩まされているというわけだ。行けるわけがない。でも、意外と周囲の大人がこれに無関心なのはおもしろい。なぜ痛くなるのか。医者の所見では何処にも悪いところはない。まさに身体化である。体の不調によって心の状態を表現している。心は不安、恐怖、そして甘えたいであるが、それを言葉で表現するすべを体でおぼえていなくて身体化となる。では、なぜそうなるか。赤ちゃん返りがそれを見事に物語っている。すべての子ども(人)は乳児期に母の下で絶対依存することが必要で、それがその人の土台になるのだがこの子はそれが出来ていない。お母さんへの絶対依存が是非とも必要になる。

 但し、児童養護施設ではこれが大変むずかしい。母に事情があって家庭生活が出来なくて入所しているのであるから・・。この観点から子どもの処遇を全面的に見直す必要があると痛感している。母を中心とした家族への支持への取り組みが必要である。

 最後にこの子が自分の状態を見事に表現しているので紹介する。「フアンがここ(お腹)にあって、お腹が痛くなって学校に行けない」と言ったそうである。見事なものだ。まさに子どもがスーパーバイザーそのものである。まことに充実した時間であった。先生方の熱心さに頭が下がる。

 ということで、学園を後にした。いつも一緒に働いてくれる愛車アコード。もう走行距離22万Kmになった。まるで着慣れた服のようで、アクセルに敏感に反応し、乗り心地は抜群、コーナーも私の思い通りに爽快に回る。未だに故障知らずでまさに私の分身だ。買って間もない頃の写真。こんなに白かったんだ。

2008年7月 6日 (日)

日々交流。

 龍谷大学での演習、カウンセリング面接研修、家族カウンセリング、栄養士さんのカウンセリング研修と続いた。この仕事をしていて良かったなと思うのは1回1回人との充実した出会いがあることだ。月並みな「充実した」という言葉しか浮かんでこないのは残念ではあるが、一瞬一瞬の人との気持ちの交流はほんと楽しい。ああいいなあという気持ちになる。

 龍谷大学での演習。ソーシャルワーク演習という科目。私はその中で育ち合う人間関係を体験することを最大目標としている。特に前記事にも書いた毎回行うチェックインは楽しい。ああこんな事思っているのだなあということが何となく肌身で身近に感じる。一通り出し合った後はなんとも言えない心の壁が取れたような感じがする。大学の教育はどうしても頭だけのものになりがちだがこういう気持ちの交流がもっとあっても良いように思う。これを通してコミュニケーション・スキルや「自己一致」という大切な心理的態度を学んでいくことになる。

 カウンセリング面接研修はもうだいぶ回を重ねたことになる。エンパシー・ラボと呼んでいて、カウンセラー、クライエント、観察者を決めて実際の15分間の面接を行う。交替してすべとの役割を体験する。終わった後は感想や気づきを話し合う。傾聴力を高めるのはもちろん、話す練習にもなる。小さな事でもいいから今実際に問題にしていること、困っていることを話すから実際のカウンセリングを体験することにもなる。終わってしばらくしてああそうかと気づいてきたり、自分の指針がハッキリしてきたりして結構効果がある。私もクライエントになって話せるのもよい。

 個人カウンセリング。いやはや人生は大変。苦労しながら生きている。そんな中でそのしんどさを共有し、自分が伴走者になっていると思うとなんとも感慨深いものがある。私も育てていただいていることを実感する。

 栄養士さんの研修。相生、赤穂地域の栄養士さん達が集まる。栄養士さんとカウンセリング?これが最近では切っても切れないものになってきている。栄養指導は重要な仕事であるから・・。ただ単に知識を指導するだけではなかなか効果が出てこない。こんなことからカウンセリング学習の必要性が出てきたわけだ。もう6年ぐらいのお付き合いとなっている。ここしばらくは年1回の研修を行っている。皆さんすごく熱心。1年ぶりにあってこの6年間の間に学習が進み、それぞれに根付いていることを実感してああ関わって良かった。こんなチャンスをもらって良かったとしみじみ思った。もちろん学ぶ度に奥が深くなって新たな発見と課題が出てくるようである。カウンセリングでは聴くだけではなくこちらが話すことも実は大事な要素である。その時に何処に留意したら良いか。そんなことが課題になってきているようである。2回シリーズ。今回はカウンセリングの基本である「聴く」がテーマになった。実際の面接デモンストレーションを行ったり、前期のエンパシーラボを行った。結構驚きと気づきかあったようである。次回は、話すこと、特にこちらが受容できない時にどう関わるかそんなことをテーマに学習したいと思う。楽しみである。

 今日は一日休憩。何もせずにゆっくりと過ごせた。明日は児童養護施設守山学園の研修。またまた忙しい一週間が始まる。

2008年7月 3日 (木)

ここしばらくの私

 日、月と休憩をして回復した。月曜日は、運転免許の更新に出かける。残念ながらゴールド免許が切れてしまい1時間の講習を受ける必要があった。結構煩わしいのでギリギリまで置いてあった。この日を逃したらまさに一日前に行くことになってしまうので決心した。すごく丁寧な案内に驚いた。「次○○番の窓口に・・・。」、「次○○番の窓口に・・・」と指示されるままに動く。指示は的確。しかし、途中、番号がわからなくてうろうろした。なにか病院で健康診査を受けている時を思い出した。

 おもしろかったのは視力検査。今までは眼鏡が条件になっていた。今回もそう思っていったら、両目だと裸眼で基準をクリアしてしまう。右目だけがすごく悪いのだ。視野検査を受けてOKなら眼鏡の条件が外れるという。結果はOK。私の運転免許から「眼鏡等の条件」が消えた。写真は眼鏡を外しての写真になった。なんと生まれて初めての眼鏡なしの免許証写真になった。思わず笑みが出てきた。といっても、やはり眼鏡なしだと見えにくいし疲れるので外して運転することはないけれど・・・。

 1時間の講習は最初わずらわしかったけれど聞いている内に関心が出てきた。道路交通法の改正状況がよくわかった。「中型免許」ができたなんて初めて知った。となりの若い人がおもしろかった。ケイタイを見るわ、ペットボトルのお茶は飲むわ、自分のスケジュール表を出してきて見るわ、してはいけないことをすべて行う。なかなかのものであった。しかも、見つからないツボまでしっかりと押さえてある。そのテクには感心してしまった。私の授業の時もこんな調子でやっている子も結構いるのだなあと違った目線から改めて感じさせてもらった。長い管理的教育のなかでおもしろくない授業を受け続け、このように出来上がっていくのだと思う。私の授業もそうなのかなあ・・。

 火、水は大学での演習と講義。若い人は油断をするとすぐに寝てしまうので注意を続けるために結構エネルギーを使う。正直傷つく感じがすることが多い。自分の体験も含めて大事な事を話しているのに条件反射みたいにこくっと寝てしまわれるとがっかりするものだ。学校という状況がそれを作り出すのだと思う。とはいえ、いろいろ工夫をしてこちらの考えが伝わったときはうれしい。「あっそうなのか」といういう反応をもらうと結構やりがいを感じるものだ。

 老人福祉論は担当のひとつだが私は詳細に入る前に現代社会の特徴を話すことにしている。意志決定の仕組み(民主主義)や経済、特に生産関係についてわかってもらいたいという思いがあるので時間を割いている。そして、大多数を占める働いている人達の暮らしが基本的に不安定であることをわかってもらう。今までこういう観点から見ることが少なかった学生はたいてい戸惑うようではあるが慣れてくると関心を持ってくれる。昨今の暮らし向きは本当によくないから彼らにも肌身を通して関心があるのだと思う。うまく話がかみ合ってきたようで楽しかった。

 演習は人間関係演習を必ず入れている。チェックインと称して毎回日々の思いを出し合うことにしている。順番に出していってもらう。これも最初はとまどうようであるが慣れてくるとお互いの思いや気持ちが交流してきて風通しが良くなってくる。ほんとじっくりだけれど・・・。大事なのは受容的な雰囲気だ。これも少しずつお互いの心の橋がかかるようになってきたと思う。

 今日は、オレゴンの友人と話す。CSPのミーティング日。今回は残念ながらラホイヤのオフィスにラップトップを持ってきている人がいなかったので Skypeが出来なかった。変わりにオレゴンの友人と話した。ガソリンのことを話したら向こうは日本の半分の価格ということ。日本の高額に驚いていたが、アメリカでもひと頃に比べたら倍の値段になっている。これは本当にひどい。ともかく暫定税率を廃止すればよいのに・・・。そして、一刻も早い投資のレギュレーションが必要だと思う。アメリカではその動きも出ていると聞く。顔が見えると短い話で済むのがおもしろい。Skypeはいい。

 そんなこんな・・・。長くなっちゃった。今日は自宅で1日過ごした。明日から、大学、ワークショップ、カウンセリング、ワークショップと続く。京都と相生を往復する。今日は早く寝ることにしよう。

« 2008年6月 | トップページ | 2008年8月 »