最悪の事態への可能性は下がった。が、・・・・。
福島原発は、どうやら最悪の事態、つまり、原子炉の水蒸気爆発あるいは再臨界は避けられそうである。もちろんこの事態に限ってということだが・・。なんとかやりくりしながら(もちろん大変な努力)、燃料の崩壊熱を下げていくということになりそうだが、その道筋は開けたということである。これについてはひとまず胸を撫で下ろしている。(元東芝の設計者である後藤氏が23日の原子力資料情報室主催の院内集会において話の流れの中で「峠を越えた」という表現で見解を述べられていた。)私もこれに同意する。
とはいうものの、放射能は出続けるし、生活への影響はあるし、もちろんいつ何時不測の事態が起きないとも限らないし、この深刻な問題は持ち続けたままということであると私は理解している。これは年単位の期間で考えなければならないそうだ。もし、仮に冷却しないで温度上昇しない状態になっても今後この炉をどのように廃炉にしていくかという努力も必要だとも思う。何せ並の焼却炉ではないのだから・・・。放射能をどう閉じ込めるかという問題もあるし・・・。我々は、まさに癌を抱えながら生きていかねばならないのだ。もちろん私たちにその智慧と力はあるとは思うが・・・。
それにしても我々はやっかいなものを作ってきた。ほんと無関心が一番いけない。これを機会に原発に関して関心を持ち続けていくし、もうそれは頭から使わないという前提で考えていく必要があると思う。ほんと我々はしっかりしないといけない。
その上、津波で崩壊した村落や被害を受けた人たちへの援助も大事なことになっていく。これから長期にわたって復興が始まっていく。これに対しても無関心はいけない。
残念ながらさらなる困難もある。臨時増税を言い出したり(谷垣)、ガソリン税率変更施策を見直したり(与謝野)、節電促進に電気料金の値上げを言い出したり(与謝野)、この機に乗じて生活関連施策の低下促進を提案する(岡田)政府閣僚達・・・。そして、それに同調する菅。誠に悲しい限りである。私たちは、原発の上にさらなる癌を持ちつつ過ごしていかねばならない。ほんとこの国の政府の病巣は深い。
我々ももっとしたたかにならねばならない。政府のしようとしていることにしっかり目を向けると同時に、ひるむことなく日々の生活にいそしむことにしたい。
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