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2011年4月

2011年4月23日 (土)

ここ2週間の私-桜、新学期、松江・出雲旅行-

 約2週間ぶりになる。時の流れるのは早い。

 あれから遅かった桜が急に咲き始め、見事に桜の季節となり、そして、今ではほとんどが散ってしまい、葉が新たに息吹き始めている。これから新緑の季節となっていく。東北地方の春はまだまだだと思われるが、着実に復興していくものと思われる。残念ながら、知ることのできる情報は甚だ少ないが・・・。

Sakura 
(相生市羅漢の里公園の桜)

 こちらの生活はいよいよ新学期が始まり、新しい学生とも接することになり、また新4年生になった学生とはこれからいよいよ人生の門出となる大事な1年を過ごすことになる。当センターの活動も新年度に入り、この30日にはワンデイの集いが予定されている。その後は、ゴールデンウィークを経て、イギリス、レスターで行われる第6回リビング・ブッディズム・カンファレンスへの出席が予定されている。季節の流れと共に私自身も動き流れているのを実感する。

 その合間を縫ってこの13日から17日まで松江方面に行ってきた。久しぶりにデイビッド・ブレイジャーさんが来日され、フォーカシングプロジェクトの人達によって行われた松江での講演会とワークショップに参加してきた。途中、一緒に熊野大社、神魂神社、出雲大社と彼の地の神社を中心に回ってきた。1人の時間があり、気の向くままドライブしていたらふと「島根原子力発電所」、「島根原子力館」の看板が見つかり、そこにも寄ってみた。松江から京都への道のりはドライブとなった。日本海に面した海岸沿いに走り、鳥取でデイビッドの友達に会い、鳥取砂丘に寄って、南東に向かい、中国山脈を越えて夜8時半頃京都に着いた。雪をいだいた大山の雄姿がこれまた美しかった。残雪のある戸倉峠の典型的日本の景色にも酔った。次の日の仕事もあり、京都で宿泊せずに自宅に帰った。思えば、すごいドライブだった。さすがに疲れたな。

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 ブレイジャーさんのワークショップは、「Other-centered approach」が印象的だった。「他者志向のアプローチ」とでも訳すべきか。クライエントにとって重要な他者にどちらかというと焦点を当て、その他者を愛することを促すアプローチとでも言うとよいかと思う。いくつかのワークも行った。自分にとって有縁の他者について語り、リスナーはそれを受容的に丁寧に聞く。そこから自分もその人をも含んだ暖かい受容が醸し出されるワークであった。

 ところで、氏によるとこれは仏教心理学に基づいたアプローチだというが、私には同意しながらも頷けない部分もある。仏教はもっと深い自覚をもたらす智慧であるから・・・。一人生まれて一人死に行く。そこには誰も関与できない孤独な自分自身がある。仏教はここに大きな自覚と安らぎをもたらすものだと思うから・・。もちろん、それだけでもなく、有縁の人達との支え合いもそこにふくまれていることにもその深さがある。自分志向でもなく、他者志向でもない、その両者の究極の深いところでの安心をもたらすものであるように思うのだが・・・。このあたりについてはまたイギリスで議論してこようと思っている。

 ハプニングから訪問した原子力発電所。もちろん、中に入れるはずはなく、入り口で引き返したが、ものものしい警備に驚いた。原子力館、つまり博物館では実際の大きさの燃料ペレットや制御棒の作動をデモンストレーションしていて、リアルであった。たまたまテレビ局のインタビューを受けて汗びっしょりとなった。原子力への不安を語ったが、それが放映されたかどうかはわからない。原子力館から見える島根の海岸は本当に美しい。宍道湖も美しい。この甘美なほどの美しさと現代モンスターが同居する。なんともいえない気持ちになった。お土産にもらっためざしがこれまたおいしい。安全性をアピールする意図があるのだろう。これまた複雑な心境である。ひとたび事故が起きれば松江市はひとたまりもない。

 なんとしたことか、愛用のカメラを持って行くのを忘れた。ケイタイから写したのでもうひとつだが記念なので貼り付けておきます。

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2011年4月 8日 (金)

今日はお釈迦様の誕生日

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 今日、4月8日はお釈迦様の誕生日。雨だ。きっと仏さまの慈悲の涙じゃないのかと味わわせて頂く。この度の地震では沢山の方が亡くなられた。避難所で苦しい毎日をされている人達もいる。病気が悪化された人達もおられる。まさにこの世は無常の世界。いつ何時何が起きるかわからない。

 とこうやって他人をみて味わうのだが、しかし、ふと自分に目をやると、まさにこの自分が間違いもなくこの無常の世界に生きているのだ。自分は死なないと思っているだけ。本当は明日をもわからない命。このままいつ息が切れるかわからない。たまたま今日それを逃れても確実に死は訪れる。病気、私は中学生の時病気をして1年留年しているが、いつ何時また病気になるかもしれない。死を免れて長生きすればするほど病気に苦しむ自分が待っている。日々の生活。うわべは幸せだなと感じるが、しかし、日々満たされないことに文句を言い、思う通りに行かない現実に不平不満を並べている。ひとときも心が安まる時がない。まさに貪り、自己執着心のまっただ中でそれに振り回されて生活をしている。まことに哀れなものである。

 なんとお釈迦様は若いときにこの現実を見て尽きせぬ心の落ち着きを求めて出家された。その後、悟りを開かれ、仏陀の一人となられた。この人が世に出ることがなかったら、仏教は無かったし、長い長い年月を経てこの私に届いてくることもなかった。今日はそれをお祝いする日だ。

 残念ながら今の日本、キリストの誕生日はそれこそきらびやかだが、釈尊の誕生日はまさにひっそりとしている。かつてはもっと盛大できらびやかであったと想像している。村にあるお寺でお祝いされたことだろう。ちょうどこの時期は花達の美しい日。その花をかざって、釈迦像に甘茶をかけてお祝いした。かつて、お寺が活動している児童養護施設に勤めていたときにこの花祭りを体験させて頂いた。その後も有縁のお寺で体験させて頂いている。まことにきらびやかで荘厳であった。今ももちろん続いているが、さらにここに思いをいたす必要があると本当に思う。

 私以外のところに目をやり、現状を憂いても仕方がない。まず、この私にとどいているお釈迦様の心に目を向け、そのようなご縁をいただいたことに感謝したい。そして、今後の人生、いつまであるかわからないが自分なりの形でその心を表し、少しでもそれを伝えていけたらなと思うこの頃である。

 

2011年4月 7日 (木)

なんかスッキリしないね。

 選挙の演説が鳴っている。正直言ってうるさい。今そんな気にはなれない。堂々とマニュフェストをかかげても、こう堂々と反故にされたんじゃ何度選挙をやっても一緒。すかした方もマスコミもあまりにも堂々としているので怒るこちらが未熟なんじゃないかなんていう気になる。馬鹿みたい。かくて怒りは内側に向く。いっそのこと投票率ゼロ運動、選挙ボイコット運動をする方がいいんじゃないかと思える。

 原発はもちろんショック。安心にはほど遠いし、日本中、いや世界中にあれがある限り安心なんてないなと思う。でも、水虫みたいにきっと息を吹き返すんだと思う。少なくともこちらはしっかりと関心を持っておくことが大事だ。でも、なんだか疲れる。

 復興の様子もどうもよくわからない。そもそも被害の概要すらこちらはまだつかむことが出来ない。

 テレビでは助け合いだの、犬が見つかっただの、きれい事ばかり。こまめに電気を消しましょうなんて言われると、かちんときて、じゃあ、こまめにテレビ放送をやめればよいのと思う。

 がんばれ、がんばれ、日本は強いなんて言われてもうっとうしいだけ。そんなこと言われなくてもわかっている。みんながんばっている。当たり前のことだ。

 もちろんどれも悪いことではないのだからちょっとものが言いにくい。しかし、何かが変。

 すっきりしない毎日が続くよ。

 もちろん仕事はがんばっているけどね。来週から新学期が始まる。新しい出会いがある。今はその準備に忙しい。

 ここしばらく、D-pca研究会、カウンセリングと充実した時間を過ごさせていただいている。自分も含めて人の力はすごいと思うし、縁あって出会うことは不思議だなと思うばかりである。

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