9月のD-pca研究会-専修念仏-
昨日28日(金)はD-pca研究会。西光義敞『入門真宗カウンセリング』を読み、その後自由なヤリトリをする。読んだところは、第六章「南無阿弥陀仏」、「専修念仏」、「行」、「画期的な革命」のところ。
浄土門は南無阿弥陀仏が要であるが、先生は、まず、仏教(仏道)において行の意味を押さえられる。悟りを得るには仏道修行が必要である。これは本質的なもの。様々な行がある。その中で、凡夫が仏陀になる行として「念仏」行、さらに口称念仏をはっきりと引き出されてこられたのが法然上人。私たち凡夫にはその道しかないと上人は言い切られた。私たちの日常生活は念仏しやすいように送っていく。それに尽きると。これは仏道門においては画期的なことであった。
結果、今までは貴族のものであった仏教が武士階級へ、農民を中心とした庶民へと広がっていく。いわば真の日本仏教の展開はここから始まったと言えるだろう。だが、その結果として奈良を中心とした旧勢力や天皇の怖れからくるのだろう怒りを買い、法然門下は流罪や死刑に処せられた。このあたりのいきさつを述べられている。
読みながら私は自身のことへと思いが向く。この私はどういうご縁か先生や同行さん達に恵まれてお念仏に出遇った。私にとっては本当に目の醒めるような究極の大きな体験であった。今もそれは私の中に生きている。思わぬ時に念仏がこぼれ出てくる。有り難いことである。さらに、これをもっと意識してこちらからお念仏していく時を作って行こうと思った次第である。
また、同時に、この超シンプルなお念仏に出遇うということがいかに難しいか改めて直面させられることとなった。
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