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2018年9月25日 (火)

イスラエルの友人との会話

 昨日イスラエルの友人ヤコブさんとスカイプで会話した。彼と始めて出会ったのはもう6年前になる。京都訪問に来られていてその時に出会い、案内をした。2人の共通点はイギリスの仏教徒デイビッド・ブレイジャーさんである。ブレイジャーさんとは2006年に京都で始めて出会った。西光義敞先生との対談が行われた時である。Yさんはそのブレイジャーさんから仏教(特に浄土教)と心理療法を学ばれている。そのつながりから私に連絡を下さり、京都で出会うことになった。

 Facebookでのやりとりを続けていて昨日はひょんなことからスカイプで話したいということになった。まさに6年ぶりの出会いである。遠いイスラエルと日本が今ここで画面を通してお会いすることになる。まるでそこにおられるようだ。なんとも不思議な感覚である。

 話は、真宗と心理療法に関すること。両者の位置づけはどうなっているかという疑問である。「心理療法(特にPCA)人間に関心を持っている。一方親鸞の関心は阿弥陀仏の本願にある。そこにどういう出会いがあるか」というのがYさんの疑問だ。そう、ここが大事なところだ。私は真宗も個人を扱っているとかねがね思っているし、まさに、今ここに私の中に顕現している。イキイキと生きている。真宗は決して教義や思想として存在しているものではない。こんなことを私の例を通して話した。また、親鸞さんの書かれたものは一見教義について書かれているようであるが、そこには親鸞さんご自身の法に出遇われ、仏陀になることが定まった止めどもない喜び・悦びの表現でもある。歎異抄の「親鸞一人がためなりけり」という言葉を振り返り、お話をした。すごいことにYさんはこの一文を知っておられる。

 心理療法の目的である自らの体験過程に開かれることについて、本願に出遇うことについての話にも及び、本願に出遇うことは自らの体験過程に出会うことよりもさらに根本的なことであることも身振りを交えながら話した。

 なにかが交流した感じがした。

 その後は、奥様のオルナ様にも久々に会い、お孫さん達も紹介していただいた。3人のとてもキュートな子ども達を見ることは本当に楽しかった。もちろん私の妻もそこに居合わせた。

 いやはや、とても不思議な瞬間。改めて不思議なご縁を思う。6年前に京都、美作の誕生寺を私たち夫婦と一緒に訪れた想い出が蘇ってきた。同時に、私の中に常に働いているお念仏の働きにも改めて思いをいたした。


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