ロシアPCAカンファレンス2018 - 4/5、印象に残ったディスカッショングループ

2.
このアプローチに興味を持つ人たちの国際組織としてWAPCEPCがある。発題者のキリルが7月にウィーンで行われた大会とその組織について報告し、さらに彼の組織化への熱い思いが語られた。「1人1人にとってどんな組織が欲しいか」という彼の質問に私の思いを述べた。「1人1人が情報共有でき、つながりあえるような組織」というのが私の思い。現在フェイスブックを通して組織ではないがそれは実現している。彼にとっては興味深い瞬間だったようである。
3.のディスカッション・グループ。テーマは「私たちがお互いつながりあえるような組織を作るにはどうしたらよいか」。これは本当に印象に残った。今回は同時的な通訳はちょっと置いておいてその雰囲気と進行をその場にいながら体験してみることにした。皆がどんどん話していく。エネルギーが充満している。とはいえ、決してあなたが悪いという議論ではない。話を受け、質問もしながらどんどん発展させていく感じだ。話し合いを楽しんでいる雰囲気だ。その内に何人かがホワイトボードの前に立って論点を書き出して整理していく。これはおもしろい。それらが出てくると次第次第に、道筋が見えてきた感じで、笑顔がメンバーに出てくる。一仕事終えたようなスッキリした感じだ。ところどころ要点を通訳してもらっていたから大体の流れはわかった。すごくおもしろかった。ロシアの人たちの話し合いの風景を体験させてもらった感じだ。
これは確かにPCAのエッセンスだが、私にはロシアの風土も関係しているのではないかと思えた。ホワイトボードに書いてまとめていくあたりそれを思った。ロシア文化の中には話し合いながら物事を決めていく風習があるのではないか、教育にもそれが継承されているのではないかと思った。その後、友人にそれを言ったらなぜわかったのかと驚いた風で「そうだ」と言う。うれしそうだった。現在「ロシアの歴史」という本を読んでいるがそこにも民会といってそれが述べられている。その時の様子が絵になっている。このディスカッショングループと重なる感じがした。
思えば、日本にも「寄り」という農村の風習がある。村の人たちが集まって延々数日間も情報を共有していく集まりだ。民俗学者の宮本常市がその時の様子を書き残している。明治以降の隣組制度とまったくことなる日本の風習がそこに語られている。どこかに共通点を見た私だった。PCAを受け入れながらその国独自のものが醸し出されて行っている。そんな印象を強くした。とてもよい経験をさせてもらった。
そして、4.
クロージング・グループ。それぞれの思いを共有していく。小さなバスケットボールを持ってそれをパスしていく形でとてもなごやかに進められていった。私も発言することにした。この時は日本語でまず話すことにした。なんとそれはどんどん通じていく感じで最後にはおーっという声が聞こえた。なんか深いところで通じ合った感じがしたのだ。英語で後で話すことにしていたがその必要は全くなかった。ベニアの「スパシーバ」という言葉はぴったり1つになる感じでとても感激した。そうして、もう一つ驚きが。そのメンバーの中に独学で日本語を勉強している人がいて、彼女が私の日本語をロシア語に訳してくれたのだ。「モスクワと相生とどちらがふるさとかわからなくなってきそう」と言う言葉がロシア語になっていることが直観的にわかった。感激!思わず足踏みと持っていたバスケットボールを叩いてその感激を表した。感無量。後で、ある1人からコメントをもらい、私が日本語で話しているときは私の舌を感じた、私そのものだったという。英語で話しているときはどこか違う感じがしていたという。そういえば、今回日本語が話せる人と3人も出会ったのには驚いた。内1人はとても流暢な日本語だった。しぐさも日本人そっくりだった。
こうしてカンファレンスは終了した。お互いハグをして別れた。本当にうれしい時間であった。私も力をもらった。招待してくれたベニアに感謝。
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