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2018年11月 5日 (月)

聖典講座・仏説観無量寿経 第七観華座観ー私の味わい

 昨日は、浄土真宗華光会の聖典講座に出席した。仏説観無量寿経より十五段華座観を頂く。釈尊が浄土に往生するための観法が説かれていく。まずは身近な日没や水や地を観ずるところから始め、浄土の荘厳を観ずることが説かれていく。ここになるといよいよ思議を超えていくので凡夫にはますますピンと来なくなる。この十五段にいたってまずはお釈迦様がイダイケ夫人に向かって「諦聴、諦聴」とおっしゃる。苦を除く法を説くからしっかり聞けと。きっとこの前のところでイダイケ夫人は疲れもあり、居眠りをされたと増井悟朗師は解釈された。まさに私にはそうだ。ここから場面が急展開する。釈尊のその言葉に呼応して阿弥陀仏が空中に立たれるのである。「住立空中尊」である。それはまばゆくばかりに輝いていた。

 仏陀から見れば私たちは迷いの存在であり、苦の中にいる存在であり、そこからは離れられない。ところが、私たちにはすべてが苦というようには見えない。自分の欲望がかなえられない時は苦であり、ちょっとでもかなえられたら楽である。ところが仏陀の目からはどうあろうとも苦なのだ。その質が違う。その私たちを放っておけないのが阿弥陀如来。まさに立ち上がられ、空中に浮いて私のところに来られるのである。このおこころを聞かせていただくことが聞名だが、これによって初めて私たちが苦から離れられるのである。まさにここだ。そこが説かれている。

 この後、お釈迦様はさらに観法(観相行)を説くことを続けて行かれる。これが仏道の基本だ。観無量寿経はこの観法の集大成である。けれども、ところどころにその観法が出来るのは仏力によるもの。さらに本願力によるものであることが随所に見られる。特に、イダイケ夫人の言葉にそれがちりばめられている。ここが本当におもしろいところだ。さらに最後には下品下生(げぼんげしょう)の凡夫にまさしく相応する口称念仏が説かれるのである。

 仏道の本筋とその最基盤に流れている弥陀の本願力のすごさ。それを改めて味合わせていただいた時間であった。

(写真はその前に訪れた西本願寺。沢山の参拝客がおられた。ここは歴史文化財というより今に生きているお寺だ。)


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