「カウンセリング」の探求-共談援助
D-pca実践の中心の1つに1対1あるいは家族単位での面接がある。いわゆるカウンセリングという実践だが、次第にこの言葉に違和感を感じ始めている。もちろん心理療法ではないが、カウンセリングももう一つしっくり来ないものがある。
もともとのカウンセリングの意味は「相談」を意味するものだからそうおかしくもないのだが、次第に日本のイメージとしては心理療法に近いイメージになるつつある。そうなるとD-pcaの実態とも違ってくる。
そもそも人生を歩むものどうしが限られた1つの空間を共有して出会い、交流し合う。ここから何かが生まれてくる。その時、どちらか一方はどこか人生に行き詰まったり悩みを抱えたり、見えなくなったりしている。他の一方はその時にはその歩みを援助する立場にある。そうしてまた別れてそれぞれの人生を歩んでいく。こういう1つのプロセスを共有する。ちょうど旅人どうしが出会ってまた別れていく。ある時にはその役割が逆になることもある。そんなイメージだ。
さらに進んで、仏法を探究し、聴聞し合うような関係。いわゆる求道的関係だ。これもD-pcaの実践ではとても重要な意味を持つ。
何かいい言葉はないものか。あるいは、その実践についてより正確に表現することができないかと思っている。
とりとめない話になった。今ひとつ仮説的にいいなと思っているのは藤田清氏が提唱した「共談援助」だ。これを軸に探究を深めてみるのもいいのではないか。
(写真は御津町御津海岸を望む景色。秋の郷愁が深まっていく。)
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