D-pcaの人間観-もっとも深い意味での全体としての人間
ロジャーズ記念カンファレンスでD-pcaの人間観について話すのをきっかけにもう一度その考えを振り返っています。以前(2014年12月1日)、D-pca研究会で発表したものを基にここに再掲載してみます。
仏教を中心とする東洋思想では、「心身一如」といいます。心と体が密接に関連しあっているという捉え方であり、事実であります。また、仏教では、「身土不二」といいます。自分と自分を取り巻いている環境とは不可分で密接に関連しあっているという捉え方だと理解して良いと思います。仏教では、「世界」と呼びます。親鸞さんの有名な言葉に、「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」とありますが、ここでは、凡夫(人)と世界(環境)の双方について言及されているわけです。
この視点がカウンセリング/セラピーにも生かせるのではないかと思うわけです。これについては、ソーシャルワークがこの考え方を取り入れ、理論と実践を発展させてきたのではないかと思われます。(詳細は、ここでは割愛させていただきます)。
結論を言いますと、まず、人には「生理的側面(体)」、「情動的側面(感情)」、「行動的側面」、「認知的側面」の4つの側面があり、それがまた他の人とつながっていくという「社会的側面」があります。これらが相互に関連しあって生きているという捉え方です。さらに、これは、個を超えてつながっていく「超個的側面」に深まっていくと思います。これを1つの言葉で言えば、「全体としての人間」ということになります。
(図をここにあげておきます。クリックしていただくと拡大画面が出ます。)
これらについて、「不登校という問題を持つ子ども」の面接事例をあげながら話しました。学校に行けない原因は、朝になって体調不良になり、それが苦しくて行けないというところにあります。これは、「身体化」というのですが、これが家族関係(「社会的側面」)と密接に関わりあっています。ここに焦点を当てて、家族を単位とした面接を行っていきますと、子どもの体調不良が良くなっていくという事実があります。これは、目下私が関心をもって取り組んできた事であります。詳細は、このファイルを参照して下さい。(この件については後日さらに書きたいと思っています。)
「不登校の原因とその援助」をダウンロード
さらに、仏教では、これを深め、人も環境も1つの如く、つながっていて、双方とも「そらごと、たわごと」、「迷い」の世界であり、仏法に出遇ってそれに気づき、そこから脱却するという道をさらに深く指し示しています。ここをも深めて「もっとも深い意味での全体としての人間」と言いたいわけです。
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