D-pcaの集い
「D-pcaの集い」のコンセプト・メイキングに再度取り組んでいる。仏道・求道とPCAというこの次元の違う二つのものが共有していてその関係のあり方や実際に集いとして展開するときにそこをどう整理して場の性格をあらわしていくか。これはほんと長年の私の課題であった。
そもそもこの二つは違うものなので共存はできないという思いでいたときもあった。けれども、どうもこれは自分の中で共存していて、交流しあっていて自分のあり方の基盤はそこにあるのではないかと次第に思えてきた。さらに、これは自分だけのものでもなく、その二つが交流しあう中で何か現代に即した人間探究のあり方があるのではないかとも思えてきた。そう思えてきたところで、D-pcaとして提唱しはじめたわけだ。理論的にはかなり整理されてきている。
ところで、今度はそれをいざ一つの場の中で展開しようとするといろいろわからなくなるものがやはり出てくる。出世間と世間という二重構造と理論的には押さえられるのだが、では、実践となると・・・。これは参加者の混乱となっても現れてきそうである。さてさて・・・。
昨年にその一つの回答が出たような気がして、案内文を作り、提案したけれど、やはり、どうもしっくり行かない。というわけで、一旦取り止めることにした。
でも、やはり、自分の中で渦巻くものがある。今もそれに取組中だ。と、そうこうしているうちに、最近になって、少し見えてくる感じがしてきてた。CSPでその集いをもったことがきっかけとなったようでもある。現在、それを整理し、案内文にしていくことに取組中である。近々公表することになると思う。
« 加古川教信寺-野口大念仏 | トップページ | メモ:D-pcaでは「育つ」に二重の意味がある-その2 »
コメント