6月D-pca研究会-八苦。釈尊のお悟りの世界から届く完璧なメッセージ (7月2日改訂)
昨日は月例D-pca研究会。続けている西光義敞『入門 真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会編の輪読。さらに提出されたメンバープランを進めた。
輪読は(八)四諦・八正道 八苦、苦諦、集諦の節を読み、自由な話し合いをする。
生・老・病・死の四つの根本苦に
愛別離苦(あいべつりく)
怨憎会苦(おんぞうえく)
求不得苦(ぐふとくく)
五蘊盛苦(ごうんじょうく)
を加えて八苦になる。それぞれについて書きたいがながくなるのでまた別の時にと思う。最近私が特に味わっていることである。
ともかく容赦ないほど見事なまでの完璧な苦の集大成である。まさに一切皆苦なのである。
そうして、これらの原因は、無明・煩悩にあると示される。集諦(じったい)。この後話し合いとなる。
これらを通した私の感想は・・・、
八苦はお釈迦さまの言葉なのだが、智慧のない私達(私)にはそう簡単には頷けない。皆苦というけれどちょっとはいいこともあるんじゃないの、楽しいこともあるのでは。向上心もそこから出てくる。あまりにも厭世主義じゃないか。人によって違うのではないかとも。そもそもこれはひとつの思想だとも。逆に人生はしんどいことばかりだという具合にたんなるしんどさのみを思って頷いたり・・。話し合いではそれがありありと出てくる。そこが無明の無明たる所以、煩悩具足の凡夫そのものなのだ。身の程も知らずいろいろと値打ちをつけたくなるのだ。そこをきっぱりと言い破られているのがお釈迦さまの教えなのである。覚者からのメッセージなのだ。まことに聞いていけばいくほどその通りだなと思わされていく。同時に、智慧のない渇愛だらけの我が身が照らし出されてくる。このあたりお念仏に出遇う前と後ではまったく違う。そこに隙間がないのだ。
次の、メンバープランでは、いくつかの疑問が出され、それについて皆で考えあった。転入・回入の違いが印象に残る。「転」の意味を深く味わったと思う。自力から他力への転入なのだ。教行信証のどこに書いてあるか。調べるのが課題となった。
ざっとこんな様子の研究会だった。PCAがあるのでありのままの考えや気持ちが出てくる。この純粋な感じがこの研究会の特徴だ。とはいえ、びっくりするような仏教解釈が出てきてこちらが動揺するのも事実。結構疲れた。が、毎回刺激的でこれこそが本来の法座かもしれないとも思うこの頃である。
次回は、7月5日(金)1時から4時である。ウェブページを参照して下さい。→D-pca研究会
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