7月D-pca研究会-滅諦、道諦。中道=八正道
先週末にかけて盛りだくさんの日々だった。5日(金)は、月例D-pca研究会。7月中旬から下旬にかけてメキシコに行くので日程を早めた。西光義敞『入門 真宗カウンセリング』の輪読を続ける。今回は、(八)四諦・八正道、滅諦・道諦、八正道、念仏行の節を読み進めた。
苦諦、集諦で終わっていたらお釈迦さまの教えは厭世教といわれても仕方がないが、次にお釈迦さまは、苦しみを克服できた、苦を超えた世界と苦の因をなくしていく道・方法を説いて行かれる(西光p.186)。思弁ではなく具体的な実践道としてである。
それは「中道」といわれる道筋。「お釈迦さまは出家するまでは、世俗的には非常に楽しいというか、快適な生活を送られたわけです。ところが、そういう生活の中に迷いと苦しみがある。それを超えなくてはいけない、修行しなくてはならないと思って、今度は苦行したわけです。だからどちらも極端なわけです。楽天主義と悲観主義、あるいは快楽主義と苦行主義。そのどちらも離れた正しい道、それが中道です」(西光p.187)。
阿含経典の中にさらにわかりやすい説法があったので、そちらも紹介した(増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』大蔵出版)。「それは、眼を開き、智を発し、寂静を得しめ、覚悟を与え、正覚(しょうがく)に至らしめ、涅槃に赴かしめる。すなわち、正見(しょうけん)、正思、正語、正業、正命(みょう)、正精進、正念、正定の、八つの正しい道が、それである」(p.38)。
すなわち悟り、眼を開く、正覚がその基本になるわけである。そのための正しい道を指し示された。(ここで輪読は八正道の節に入る)。特に、私には「正見」が印象に残った。「正見というのは、お釈迦さまが悟りの智慧をもって正しく人生を見られたように、正しく人生を見ていくということですから、仏陀の教えに従って人生を見ていくということが正見ということです」(西光P.188)。これはまさに真宗聴聞の中にしっかり生きているではないか。教えに従って人生を見ていく。私を見ていくということだ。煩悩具足の私の姿をありありと見さされていくのである。
当然、後世になり、八正道はかなわなくなっていく。そこで、念仏行が着目されていくわけだ。一区切りでもあるので、今回はここで終了。次回は、(九)無根の信へと続いていく。
ところで、これはあくまで私見ですが、後世に渡り念仏経典が出来てきたと一般的に捉えられていますが、これはあくまで仮説です。お釈迦さま当時にも八正道にかなわない人たちがいたわけで、お釈迦さまはその人達に向かって念仏門を説いておられたのではないか。どのお経もお釈迦さまは文字にされていないので、その教えをしっかり聞いてしっかり暗記していた人たちがいたのでしょう。それが後世になって文字に表れて来た。そう思えて仕方がないのですが・・。だって浄土三部経はすべて「仏説」が付いています。そして、如是我聞から始まるのですから。現に私の中にはそれがしっかりと届いています。その思いから出発してものを見ていくことも大事だなと思っています。
ともかくいろいろ思いが出てきて沢山話させてもらいました。
次回は、8月23日(金)13時からです。→D-pca研究会
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