8月月例D-pca研究会-ワークショップ報告と輪読(無根の信)
昨日8月24日(金)は月例のD-pca研究会。メキシコで行われたワークショップと横浜での佼成カウンセリング研究所「仏教とカウンセリング講義」の報告。そして、西光義敞『入門 真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会編の輪読を進めた。
ワークショップの報告。ルピタさんのIdeph、WAEHカンファレンスで行った2つのワークショップ報告。どれも深い心の交流が出来た時間であった。D-pcaを体験してもらったことになった。苦を見つめながらそれをそれぞれの生活と照らし合わせて気づきが深まっていく。そのような体験でもあり、これは私にとって大きなことであった。
→メキシコでのD-pcaワークショップ-その1、ルピタさんのクラスにて
→メキシコでのD-pcaワークショップ-その2、WAEHカンファレンスにおいて
次は、輪読。(九)無根の信。西光義敞先生の真宗の要の話しが続いていく。いよいよ「無根の信」である。参加者の問いかけから始まり、先生の話が始まっていく。
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「そういう頑張りは生きていくには大事なんだけれども、もう一つ高い転迷開悟を目ざす仏教的立場に立ったら、話しは違ってきます。生死を超える、迷いを離れると、仏さまの立場に立って言うたら、そんな頑張って、ないものをだそうたって無理、というわけです。だからどうしたらいいのかといったら、自分ではそこまで徹底的に無力で、悪人で、だめ人間やと思うておりませんでしたということは、仏さまの本願を聞くことによってわかるわけです。
そうして他力を仏さまの方から私に振り向けてくださるというのが、本願力廻向なんです。(略)
他力廻向の信心という、浄土真宗では。これは自分の我が身の中に、その信じるという心の根っこはないんです。(略)
真面目に信じます。疑いを捨てて信じますというてるような信心は、親鸞さんがすすめるような信心ではない。なぜかといったら、みんな根が自力の、こちらの中にあるんだけどもね。無根の信というのは、その信じる心、救われる、その力は私の中に根っこはありません。どこに根っこはあるかというたら、仏の本願の中にあるわけです。」(p.200-201)
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我が身の自力疑心が本願力によって捨てさせられ、まったくの荒れ田の我が身の中に飛び込む阿弥陀仏の他力廻向の信心。それによって収め摂られ、浄土に運ばれ、弥陀同体にならせていただく。こんなすごいことはないのだと改めて思わせていただく。逆にこのことを受け入れることの難しさも改めて思う。
次回は、9月27日(金)午後1時から4時まで。
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