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2019年8月 7日 (水)

ノート:「仏教は心理療法である」(西光)

仏教をカウンセリングや心理療法の領域でとらえるなら、それは「法にもとづき、「法」を中心とし、窮極的には「法」を悟って「仏」に成ることをめざす実践道である。「仏」に成るとは、人間が人間以外の何かに成るのでなく、人間を超えて人間を貫く「法」にめざめることによって真の人間になるのである。

(西光義敞『育ち合う人間関係』本願寺出版社P.189より引用)

 

 これは西光先生の持論ともいえる。仏教もカウンセリング・心理療法と同じくなんらかの人格的転換を図るという意味で共通である。仏教へのこの面からの位置づけは今後カウンセリング・心理療法の領域からなされて行くであろうというのである。先生の仏法とパーソンセンタード・アプローチへの身(み)をかけた深い探究から出てきた見解である。

 確かに、聴聞の過程で教えを聞く、それに出遇っていくことによってこちらが揺り動かされより深い自分のありように気づかされていくということが起きてくる。私もそれを経験した。一方、カウンセリング・心理療法でもこれは同じだ。「気づき」が生まれてくる。でも、確かにその深さが違うなとも思わされる。といって、違いを強調するだけでもやはり不充分なようにも思われる。カウンセリング・心理療法にも深い自己洞察が起きるからだ。今、自分にはっきりといえることは、人間を迷悟に分かつという観点はやはりカウンセリング・心理療法からは出てこないように思われる。西光先生もこのように洞察しておられた。 このあたりが大変おもしろいところである。

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