佼成カウンセリング研究所にて講義-仏教とカウンセリング
先日8月10日(土)は、佼成カウンセリング研究所にて講義。場所は横浜である。テーマは「仏教とカウンセリング」。もう4年のおつきあいになっている。故・西光義敞先生が熱心に講義をされていて、その後をたどらせていただいている。たまたま2014年に人間性心理学会でD-pcaについて発表をしたところ、それが縁で呼んでいただくことになった。本当に光栄なことである。2年に1回なので今回が3回目になる。
仏教「と」カウンセリング。この「と」のところが大事である。「と」は私。本来起源の違うものが交流しているのだが、それは外にあるのではなく、この私のところでである。この私の中で両者がどう交流しているのかそれが大事であるとよくおっしゃっていた。私もそれを大事にしながら動いているなと改めて思っている。さらに、これは私のところではさらに絞られて、「仏教」は「真宗」。カウンセリングはパーソンセンタード・アプローチ(PCA)である。
講義の内容は、まずは「仏教」、「PCA」と別々に話し、最後にそれがどう交流しているか、どういう関係になっているかということを話していった。
「仏教」については、四諦を話、真宗がわれわれ凡夫が仏陀になる道を具体的に示していることを私の中で生きている仏教という形で話した。そして、PCAについては、ロジャーズさんの定義を丁寧に読み、それが私の中でどう生きているかを話した。どれもこれも大テーマなので話し出すとあっという間に時間が経ってしまう。朝9時から夕方4時すぎの長丁場だがそれでも時間が足らない感じだ。それにしても大テーマなのだ。
フロアーからのやりとりも刺激的である。特にPCAについては大事な質問が出る。特に「一致」のところである。カウンセリングは、クライエントが中心だからクライエントについての理解が大事になるが、そもそもこのロジャーズの出発点は「カウンセラー」自身の「一致」から始まっている。しかも、それが第1条件になっているのである。成長促進的態度の出発点は「一致」ということにある。また、成長する、変化するということはクライエントの「一致」が進んでいくということにある。ここがPCAの大変おもしろいところである。これは聞いている方達にとっては目から鱗のようで、驚きの声が上がる。同時に、ホッともされる。「私を無にして聞く」ということではない。私は私でいいのだというわけだ。大事なことは私の気持ちとクライエントの気持ちを分けることにある。毎回この声があがるのも興味深い。思えば私の学びもそうであったと思う。最初は自分をおいておいてクライエントに耳を傾ける、受容すると思ったものだ。それでいると構えてしまってどこか不自然なのだ。次第に私が開けてきてそこから面接も変わっていったように思う。
「仏教」については四諦のところが共通点として届きやすかったように思った。質問は、転迷開悟、抜苦与楽の「楽」とはどういうことですかという質問だった。この楽は「楽の極み」ということで、我々が考えたり、思ったりしている「楽」とは次元の違う世界だ。それを超えた空の境地。涅槃の境地ということになる。質問された方もそのように思われていたようだった。
こんな具合だ。年齢層も幅広く、熱心に聞いて下さる。こんな深い話が出来るのもほんと滅多にない場だ。貴重な私の成長の経験にもなっている。楽しかった。さすがにエネルギーを使い果たした感じだった。貴重な場を下さったことに感謝。
(使用したパワーポイント・ファイルはこれです。ダウンロード - dpcakosei.pdf))
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