9月の聖典講座-「深心」、「二種深信」
昨日は浄土真宗華光会の聖典講座。仏説観無量寿経の講義が続いている。定善十三観が終わって、散善三観に入っていっている。三福九品と呼ばれているところである。上・中・下の三品(さんぼん)があり、それぞれに上・中・下生がある。これは日常用語にもなっている。
前回からその最初の上品上生(じょうほんじょうしょう)、まずは三心を伺っていっている。「至誠心(しじょうしん)」、「深心」、「廻向発願心」である。今回は、要の「深心」についていただく。
「『深心』といふは、すなはちこれ深く信ずる心なり」(散善義)
「『深心』、すなはちこれ真実の信心なり」(往生礼讃)
善導様、親鸞様のご指南を伺い、観経本文よりもさらに詳しく講義された。大きくは、「機」の深信、「法」の深信の二種。法の深信はさらに五種ある。
ここからは私の味わい。深心とは他力廻向の信心である。自力から出る信は深心ではない。私が教えを通して本願力に出遇い、それに貫かれてしまうものだ。まさに呼びきりなのである。そこを改めて味わいなおした。まさに信心の溝さらえさせていただいたと思う。その場に生き生きと満ちている法の力にうるおわせていただい場であった。もちろんそれは今も生き続けている。
罪悪生死の私自身とそれに差し向けられた私を摂受したまう阿弥陀仏の本願、この二種を深く信ずる。つまり他力廻向の信心が我が身に徹到する。二種一具。まことに深い宗教的境地である。今生においてこれが我が身に起きた。まさにこれ以上の出遇いはない。
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二種深信(善導大師『観経疏』散善義)
「二には深心と。「深心といふはすなわちこれ深く信ずる心なり。また二種あり。
(機の深信・信機)
「一には、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して、出離の縁あることなしと信ず。」
(法の深信・信法)
「二には、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は、衆生を摂受したまふこと、疑いなく慮りなく、かの願力に乗じて、定めて往生を得と信ず。」
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