叔母の四十九日法要-改めて満中陰の意味を思う-
昨日は叔母の四十九日法要が営まれた。いとこをはじめとして親戚が集まる。いくつかの家系の人たちが集まるのがおもしろい。それぞれ顔が似ているのがおもしろい。こうやって縁が広がっていくのだなと改めて思う。
ところで、四十九日法要は満中陰法要と呼ばれる。生き物が死に次の生(しょう)へと転生するのだがその四十九日間はその中間の様相をしているのだという。これを「中陰」と言う。そうして、それぞれの業によって次の生へと転生する。「胎生」、「卵生」、「湿生」そして「化生」と呼ばれている。もし、仏縁あって弥陀の本願力に遇えたなら次の生ではそのお力によって「浄土」に転生することになる。これが「化生(けしょう)」である。真の意味での「転生」はこのことを指すのだと思う。そういう意味で真の「満中陰」となるのだ。となるとこれはとても有り難いこととなる。
法要は浄土真宗高田派のお導師さんによりしっかり営まれた。教行信証の総序から始まり、観無量寿経、正信偈へと拝読が進んでいく。改めて我が身に聞かせていただいた。同時に、この縁に遇えたことは不思議の尊いご縁だったのなと改めて思わせていただくのである。
また親戚の人たちが集まり、叔母を偲んで歓談が深まり、これもうれしかった。思えば、すでに父も母も叔父も叔母も他界した。いとこの一人も他界している。改めて時の移り、無常を思わせてもらった。私も「いつかは」、いや「必ず」なのである。
仏法のご縁に遇う、そして親戚一同の出会いともなる。この仏事法要は本当によく出来ている。残念ながら現代は形骸化もしている。「本願力に遇う」ということも曖昧になっている。とはいえ、こうしてこれが続き、本来の意味が浸透していったらいいなとつくづくと思った。思えばとてもすぐれた精神的財産なのである。
写真は叔母が大事にしていた写真の中からの一枚。形見として頂いた。昭和30年代後半だと思う。父はいつも撮影者だった。叔父が写っていないのはなぜだったのだろう。なんともレトロ感が漂う。子ども時代の想い出が蘇った。
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