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2020年1月14日 (火)

報恩講お参り-改めてその肝要を思う-

 先週11日(土)、12日(日)は浄土真宗華光会の報恩講にお参り。寝食を共にしながら聴聞を重ねる場。中でもこの報恩講は親鸞聖人の御恩徳を報ずる大切な場である。こうやってここに書くと心境が新たになる。では御恩徳に報いるとはどういうことを指すのか。蓮如上人御文章から改めてそれを窺うことにする。


(前略)
「そもそも今月二十八日は祖師聖人遷化の御正忌として、毎年をいはず、親疎をきらはず、古今の行者、この御正忌を存知せざる輩あらべからず。これによりて当流にその名をかけ、その信心を獲得(ぎゃくとく)したらん行者、この御正忌をもって報謝の志を運ばざらん行者においては、まことにもって木石にひとしからんものなり。」
(中略)
「しかりといえども未安心(みあんじん)の行者にいたりては、いかでか報謝恩徳の儀これあらんや。しかのごときの輩(ともがら)は、この砌(みぎり)において仏法の信・不信をあひたずねてこれを聴聞してまことの信心を決定すべくんば、真実真実、聖人(親鸞聖人)の報謝の懇志にあひかなふべきものなり。」
(後略)

(蓮如上人『俗性の御文』浄土真宗聖典第二版p.1221より)



 これはまことに厳しいお示しである。浄土真宗に縁あるもの、信心を獲得したもの、親鸞聖人の亡くなられた日をしらぬことあるべからず。報謝なきことあるべからず。また未安心、つまり信心決定が未だのものはますますもって報謝の志にはあらず。この度の報恩講を契機として信・不信をたずねあい、聴聞をし、信心決定すべしということになる。

 「信心獲得」がその肝要になる。つまり阿弥陀如来のおこころ(仏願の生起本末)を訪ね合い、それを聞き、疑心あることのないことをいう。・・・・。ここが肝要である。まさに我が信やいかに人の信やいかに。同行同士、支え合いながらも究極にはそういう真摯な聴聞の場なのである。

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