新年初の京都D-pca研究会
昨日は京都にてD-pca研究会。ほんと長く続いている。いつものようにオープニング・ミーティングを開きその日のプランを作る。続けている西光義敞『入門 真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会の輪読、私が行っている研修内容についての質疑というプランが出された。また、調整事があり、それについても話し合われた。
1.輪読は、(九)無根の信より、最終節になる「他力廻向の信心」を読んでいった。
無根の信というときの「信」は如来の他力廻向の信心を指す。こちらが作り出す信心ではない。けれども、ここのところを言葉に表すのは非常に難しい。出遇うこともむずかしい。それは「空(くう)」にもつながっていくことでもある。そのようなことがテーマになる。西光義敞先生の言葉から引用する。
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(「向こうからいただく」ということに関係して霊感や神秘体験について述べられたあと)
「ところが仏法のこの自覚体験の世界はひとつの深い道理の体験自覚の世界、人間の知性、理性が知る自然的な真理・道理よりも、もっと深い道理にもとづいているわけですね。だから神秘主義と訳して理解しようとしたらもう仏教はわからなくなってくると私は思っています。(p.210)」
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「不可思議とわけがわからないということとは違う」と先生がおっしゃっていたことがずっと残っていて、けれど、その正確な表現は何だったかなと思っていたが、このことを指しておられたのだと改めてそれがつながった思いがした。
さらに・・・、
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(チャン・ウェイさんが中国での敵味方入れ替わりの経験をされたことを紹介された後)
「人間の世界というところは、いつも必ず悪というものが生まれてこずにはおられんのが人間の世界です。考えさせられるのは、その時いつも悪人は外にいて私の方は善人なんだ。その悪人のいるのに私は悩まされるんだと。だからその外にある悪なるものを叩きつぶしたり、攻撃したり、直したり、そしたら私はもっと安閑と生きられるという発想が、凡夫の中にあるわけなんです。それも嘘だと。悪というのは外にあるんでなくして、自分の罪業の、この身の奥にあるんだというのが親鸞の認識ですからね。(p.208)」
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そうここが真宗の教えのとても深いところである。悪は外にあるのではなく我が身にある。我が身の罪業、つまり、煩悩、無明から起きる。そういう意味で人類皆共通。凡夫として共通。こういう教えは真宗をおいてないのではないかと思う。これが我が身(衆生)のこととして自覚される、信知される。と同時にそれ故に我が身(衆生)に廻向される本願力を信知する。これが他力廻向の信心を我が身に頂くということなのである。さて、私が信やいかに。ここを問うていくことが求道・聴聞だ。
改めて目が開かされることであった。また、生きて働く仏法を思わせていただく具体的体験がメンバーの中から話された。これは大きなことであった。
2.輪読の後は、研修についての質疑。私の案内の中で「育ち合う人間関係」の体験学習について書いているが、その中で、「フィードバック・ラボ」、「スキル解説」についてそれは何?という質問があった。
まず、フィードバック・ラボ。円座になって聞き、確かめ合っていく練習方法がある。「如是我聞ゲーム」とか「こころのキャッチボールゲーム」というふうにも呼んでいる。それについて詳しく話した。参加者が理解されているフィードバックとは少し意味合いの違うものであった。
そしてスキル解説。PCAスキルは大きく、「アクティブ・リスニング」、「私メッセージ」、そして「葛藤解決の話し合い」がある。これはひとまで公式(型)として提示されている。それについて説明した。PCAでは心理的風土とか態度が大事であるがつかみにくいところがある。その時にこれらのスキルを知っておけばそれがガイドラインになる。もっともそれらをも超えて自在になっていくことが大事ではあるが。そのことについて話した。
3.真実性、真摯な出会い、そのような充実した場であった。次回は、2月28日(金)1時から4時。
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