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2020年1月27日 (月)

本当にうれしかったインタヴュー その2

 昨日もよく話した。昨年11月17日に受けたインタヴューの第2回目。→本当にうれしかったインタヴュー その1。今回は、PCAフォーラムを中心とした国際交流の様子、D-pcaについて、今後の私の展望というテーマで緩やかに進行した。

 第1テーマはPCA国際フォーラム。最初に出会ったのは1995年のことになる。ギリシャで行われたフォーラムだ。私の求めていたPCAがここにある。しかも、国際的な広がりを持ってあるということを人と人を通して本当にリアルに感じた。創始者のアルベルト・セグレラさんに出会ったのもこの時だ。以来、ほぼ毎回このフォーラムに参加している。最新は、昨年フランスで行われたフォーラムだ。

 ほんといろんな人達に出会った。そのつきあいが今も続いている。Facebookはほんと大きなツールになっている。まさに私の宝物になっているのだ。キーワードにしてみるとこういうことになる。「とにかく楽しい」、「自由な表現」、「水平の関係」、「人種、民族、国を超えての人間的交流」。時には葛藤が起きることもある。しかし、そこから学ぶことがとても大きい。どこか生産的で意味深い葛藤なのだ。

 聞き手がすごく関心を持ってくださるので生き生きと楽しく話せた。写真も共有しながら・・・。そのフォーラムの雰囲気が伝わったひとときだった。

 第2テーマは、D-pcaについて。心理学の人間観と真宗(仏教)の人間観は真反対とすら思える。それがどのように関係をもつことができるのかというのが聞き手の関心である。とても本質的でおもしろい。私もまったく別物と思えていたときもあった。しかし、今では違う。そもそも2つは次元の違うものを扱っている。世間と出世間だ。しかし、この2つが私の中でしっかりと存在し、それらが交流しながら豊かな世界が展開されていっている。今ではそんな思いでいる。仏法が相対(凡夫)の自分を大きく包んで、私の真のありようをしっかり見せてくれている。そうして、その包んで下さっている弥陀仏の本願力に安らう身なのである。

 もし、仏法だけでPCAに出会わなかったら日常生活で起きる人々の葛藤に具体的に呼応することは出来ないだろう。お手上げとすら言える。豊かな人間関係を提供する指針をもらっている。また反対にPCAだけで仏法に出遇わなかったらこの智慧のない我が身はどこに行ってしまうだろう。いつまでも迷いの世界を繰り返す。罪業そのものの身である。葛藤(苦)のすべては我が身の無明から起きる。そう知らされているいることで常に帰るべき原点をいただいている心境なのだ。そんなことで常に両者が交流しながらさらに豊かで奥深いカウンセリング関係を持たせてもらっている。

 聞き手の問いからこのようなことを改めて確認させていただいた。そう思う。

 第3テーマは、私の今後。これもうれしい問いであった。今後もD-pcaに関わっていきたい。実践を深めていきたい。宿泊版D-pcaの集いを開催していきたい。国際交流も続けていきたい。そうしながら今までのところを何かの形で文章にしたい。そう思う私である。

 今回も7時間ほどのインタヴューになった。自分が取り組んできたことをおもしろいと思って下さり、関心を持って下さり、聞いて下さる。しかも若い人に。ほんとこんなうれしいことはないのだ。ありがとう。次回は食事と一献を傾けながらのリフレッシュということになった。

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