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2020年4月 5日 (日)

コロナ事件に思うこと(9)-仏智に照らされて-

 ここで今後どうあれば、どうすればという道筋だ。何はさておき私に向けた課題だ。先の親鸞聖人の言葉はさらに続く。「ただ念仏のみぞまことにておわします」。まさにそうなのだ。

 念仏の智慧に照らし出されれば、火宅無常の世界とはっきりと言い切れるのだ。そこに迷わずにいる道筋が示されるのだ。四苦の中に私たちは生きるしかないけれど、そう教え、照らして下さる智慧と慈悲の働きに会う。これが大事だ。そこに第1の矢は受けるけれど、第2の矢はうけないという道筋のはっきりと見える境地が開けてくるのだ。痛みは確かに起きるけれど(第1の矢)、それに惑わされ、翻弄されてしまう(第2の矢)ことはない。そういう意味ではウイルスを恐れることもないのだ。

「いまだ安養浄土はこひしからず候ふこと、まことによくよく煩悩の興盛に候ふにこそ。なごりおしくおもへども、娑婆の縁尽きて、ちからなくしてをはるときに、かの土へはまゐるべきなり。(歎異抄(九)より)

 そうして、分析的知恵の限界をはっきりと見極めることだ。西洋を発端として発達してきた科学技術文明はそれとして存在意義はあるがまったく完璧ではないのだ。やはり次の問題を生み出していく、次々と生み出していく。これは終わることはない。そう思い切れるところが大事だ。それでもって始めてそれにとらわれないで見極めて行くことが出来る。マスメディアともそう接していけば良いのだ。そういう意味ではいたずらに恐れることもない。改めて思うのだ。といっても煩わしいけれどね。でも、やはり第2の矢は受けないのだ。

 そうして前述した自らの治癒力を高める生活習慣に留意することだ。それしか道がない、いや王道なのではないかと思う。

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