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2020年4月 3日 (金)

コロナ事件に思うこと(5)-発達した分析科学の行き詰まり-

 今回こんな形でまとめて見たかったのはそもそも自分の実感、体感とマスコミで流されている情報、次々と打ち出される支離滅裂な対策とのギャップからだった。本当に何かがおかしいのだ。これには高度に発達した(と思っている)現代科学の問題点、行き詰まりも関係しているように思う。いや根本要因はここかもしれない。そうとも知らず私たちは盲信しているのだ。

 この分析科学は近代になってスタートした。今となっては大きな問題点をはらんでいる。全体を見ないで分析的に人を見ていく。細かく細かく分析していってそれはそれで深いが全体が見えなくなっていく。ほんと単純な全体が見えなくなっていく。その弊害が出ているのではないか。

  あのウイルス学というのは検体に操作を加えて電子顕微鏡で見る世界だ(wikipediaより)。目にも見えないし、光学顕微鏡でも見えない。一見、見たように思えているけれどそれはあくまで人工的に作り出した場の中でみているのだ。私たちって本当に実体を見ているのだろうか。そんな疑問が湧く。素人だからこそ湧く。そんな中で私たちは不必要な不安を募らせて行っているのではないか。

 現代分析科学を進めていったのは西洋的ロゴスだ。これは一時は大きな成果をあげた。いわゆる科学技術や医学の発達である。けれども、それに酔いしれている内に現代人はそれに固執し、原点を見失い、かえって盲目的になって行っているのではないか。

 あの防護服を着た患者とスタッフがストレッチャーで運ばれていく。何人をもが狭い集中治療室に入れられている。それを防護服を着たナースと医師が少ない人数でケアーと治療に当たっている写真。それをみるとぞっとするのだ。これでは治る人も治らない。やみくもに検査数を増やし、それによってコロナウイルスと判定し、隔離しして治療を進める。悲惨であり、また滑稽ですらある。恐怖の悪循環だ。このように科学中心認識方法 、つまりロゴスの権化の行き詰まりがまさにここに極まっていっているのではないか。そんな風に見えるのだ。

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