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2020年4月21日 (火)

日本人の思考方法

 今回のコロナ事件で欧米の人たちと日本の対応がこうまで違うのかと改めて強く思った。幸運なことに国際PCAフォーラムを通して欧米の人たちとつきあうことが多くなった。Facebookを通してやりとりしているから今もそれが動いている。向こうの人たちもコロナで持ちきりだ。改めてそのとらえ方の違いに連日驚いている。

 それはロックダウンに象徴される。ウイルスはとにかく敵なのだ。それと戦うのにはどうするかそういう発想なのだ。私のこの違い感は今に始まったことでもないが今回まざまざとそれを感じさせられた。非常時には普段の考え方や感じ方がもろに出てくるのであろう。

 では、日本の対応は。これはほんと明らかに違う。進めるのは「自粛」で、後は緩やかにしてある。緊急事態宣言が出てからもこのある種の間は依然と存在している。ウイルス即敵、ゼロか100かという二項対立とはずいぶん違う。そのぶんあいまいなのだが・・。時にはこのやり方に欧米の人たちから批判めいた論評も目にした。あるいは日本人からも。

 ということで、悲しい思いもするけれど、やはり日本人独特の考え方やとらえ方があるのだなと改めて思った。そこから記憶は昔に戻って学生時代にとても影響を受けた本があったので改めて取り寄せてみた。なんともう50年近く前にもなる。

 それらを上げてみる。

1. 外山滋比古『日本語の論理』中公文庫
2. 樋口清之 『梅干しと日本刀、続・梅干しと日本刀』祥伝社新書
3. 川喜田二郎『発想法』中公文庫

 どれもこれも懐かしい。幸い文庫や新書となって今も出版されていたのがうれしい。

1. は確か浪人時代に読んだ本だ。西洋文化一辺倒で日本語は論理的ではないというのが当時の定説だった。今もそう思う人はあいかわらずいるかもしれない。けれども、そうではなくて、「日本語にはヨーロッパのことばとは性格の異なる別種の論理があるのだ」というのが氏の主張である。(p.285 あとがき)

 その時は知識として新鮮に読んだのだが欧米の人たちと膝つき合わせて接する中で今では肌身に感じて思うことである。うまくいえないのだが、日本語は直観的論理というか「連想の論理(外山)(p.17-)」というのがあるように思う。パッと閃く、あるいはつながる感じがあるのだ。これを英語で考えていると一つ一つステップを追いながら進めていく感じになる。向こうの人たちと話していてこちらはパッと閃いて数ステップ先を見通してしまっているのだが細かいステップで彼らは話していっている。その時には無理して理解しようとすると疲れる。そこで一息ついて黙って待っていると次第にこちらの結論になっていることがある。やはり日本語独自の論理が何かあるのだ。漢字、かな、はたまたローマ字をも使う、つまり表意文字と表音文字の2つを使うのがこれと関係しているようにも思う。

2. は当時一世を風靡した。最初から新書版で出たのでずいぶん話題になった。右翼、左翼、自虐的史観と愛国という視点で捉えられた感もあるが、それは残念なことだ。しかし、その本の趣旨はそうではない。日本独自の考え方があり、科学があり、私たちの文化はそれに支えられてきているのだという主張だった。氏はひとつひとつ具体例をあげながらそれを説明していく。そこがおもしろかった。

 例えば、堤防。日本の堤防は高い防波堤を立てて波に立ち向かうというものではない。岩を沖まで敷いていって波の力を分散するという形でこちらを守る。日本の建築は縦に収縮しない針葉樹をその柱に使っている。けれども横には収縮してわざと揺れるようにして立てている。それによって揺れる力を分散する。わざと揺らすのだ。極めつけは瓦。地震の時はわざと落ちるように敷かれている。揺れるとまず瓦が落ちて建物の倒壊を守る。こんな具合だ。

 つまり、「今日、世界中に影響を及ぼしている西洋の科学の原点は、”自然を征服できる”と考えたところから発想しているといっていいだろう。私たちは、そういう西洋の発想に馴れてしまっているから、私たち祖先の”人力は自然の力に及ばない”という原点から出発したさまざまな発想や遺産を非科学的だと片付けることが多い。(p.16)」というわけである。これってほんと今のコロナへの対処方法とぴったり一致するではないか。

3. は、有名なKJ法創始者のそれについて書かれた最初の本である。川喜田氏のこのKJ法は単に理屈を並べるだけではなく極めて具体的な技法として体系づけられたものである。とうぜんその技法には哲学や思考方法が貫かれている。「仮説発想」の技術、「野外科学」、「書斎科学」、「実験科学」と氏が名付けた科学の3方法。実験科学だけが科学ではないのである。これは今ここにいたって輝きを取り戻す。

 私はここからその体系的探求方法について身をもって学んだ気がしている。それがまさに日本人の思考方法、あるいは日本語の思考方法に見事にマッチし、さらにそれをも超えた普遍的思考の体系なのだ。ほんとこのKJ法の虜になって学生時代それにのめり込んで学習をした。「移動大学」という活動にも夢中になって取り組んだ。懐かしい思い出である。 それは今も私の中で生きている。今回のとんでもない事件で久しぶりにKJ法を使って探求してみた。ここからほんといろんな考えが浮かんでほんとおもしろかった。これも西光義敞先生から学んだことである。

 そうしてほんとごく最近になって友人から知らせてもらった考えがある。「ロゴス」と「レンマ」だ。これは山之内得立氏のアイディアだと聞いた。この
レンマ的思考方法はまさに日本人が得意にしていることでないかと思う。このことについて知るのは初めてだがこうやって1つの思想が連綿と連なっているのが本当に興味深い。

4. 中沢新一『レンマ学』講談社

 あれから時代は変わって西洋にも東洋思想がずいぶん入り込んでその区別がなくなってきたなとも思っていたが、今回の事件ではああ西洋はやっぱり西洋だなと改めて思わされた。

 世界全体を巻き込んだ未曾有の喜劇の中でこのようなことが頭の中を去来している今日この頃である。 そこがまたおもしろいところなのだろう。

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