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2020年5月25日 (月)

聖典講座-観無量寿経ー

 先の23日(土)は浄土真宗華光会の聖典講座。例の事件の影響でしばらくぶりに法座が開かれたことになる。今回はZoomと並行して行われた。講座としては初めてである。私はZoomで参加した。いつもなら2時間かけて京都にいくのだがほんと間近で参加できるのが面白かった。私からすると京都の講師・法友がこちらに来てくれた感じがした。おかげで法縁に触れることが出来た。とはいえ、人と人とが膝つき合わせて全人格で出会う。これに勝るものはないとも改めて思った。また、遠距離を都合を繰り合わせて動くところに大きな意味があるだとも思った。

 観無量寿経講座が続いている。今までのおさらいと散善(三福九品)の下品下生、特に「唯除五逆、誹謗正法」のこころについて深く味わった。観経には「顕説」と「隠彰」があるのだ。

 かの十八願文の中でこれが出てくる。成就文の中にも出てくる。まさに弥陀の本願だ。が、「五逆を犯すもの法をそしるものは唯除かれる」となっている。ここは広く衆生を救う弥陀仏のお働きなのに除かれているというところが問題になる。真宗教学でもいくつかの解釈があるようだ。 講座では曇鸞様、善導様、親鸞様の論釈を味わった。ここでは私の味わいを書くことにする。

 私にはこれは当たり前のことと思われる。法を誹るものは本願を聞くことがないからさすがの阿弥陀仏もどうしようもないのである。しかし、ここのところを思い知らしめようそして悔い改めさせようという強い強い働きがあるのが確かなのである。まさにあの手この手で私の真の姿を知らしめ、本願を聞く身にさせようと働きづめなのである。

 思えば、私の聴聞もここが極みであった。私は仏教に興味があり、先生やお同行さんの人柄に惹かれて聴聞をしてきた。法座にずっと通ってきたのである。でも、真宗の南無阿弥陀仏となると何か心障りがあってしっくり来なかったのである。そうしながらもいろんな縁で法座に通った。その中でハッキリしたのは、法座には足を運ぶ、仏教に興味を持つ私、仏法を求めている自分だと思っていたが、実は、私を見てみると、なんと仏法なんか聞きたくない、まして阿弥陀仏の願いなどは聞きたくもない。そんなものは嫌だとわが身(み)全体ではねのけていたのだった。ほんと長く気がつかなかったのだけれどまさにそんな姿だったのだ。まさに法を誹ってきた私だったのである。それに気づかされたのであった。これは驚きだった。けれどもその中からこの私に向かっている阿弥陀仏のこころ、なんとかして聞かせようという切ない思いが届いてきたのである。ここが要だったと思う。そして、すごいことにそこが心底届いた時、もうこの誹謗のこころは過去のことになってしまったのである。本願の一人働きなのだ。今回の法座の中でそういう自分を改めてなぞらせていただいた。

 親鸞聖人の仏智疑惑和讃(82)を引かせていただく(浄土真宗聖典 P.614)。

 仏智うたがふつみふかし この心(しん)おもいしるならば
 くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし

 「思いしるならば」が有り難い。南無阿弥陀仏。
 

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