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2020年5月17日 (日)

コロナ事件再確認-生体側の作用に目を向けることだ+日本死亡者少ない理由-

 いよいよ政府の緊急事態宣言取り下げが始められて休業要請が解除され始めていこうとしている。よかったと思う。次への不安喚起に備えてここで改めて今までの私なりの学習内容を振り返って確認しておきたいと思う。ほんと今回のことでいろいろ調べる中で大事なことを学ぶことが出来たと思っている。

1.ウイルス疾患は生体とウイルスとの交互作用でおきる

 まずそもそもウイルスとは何か。それは目には見えないし、光学顕微鏡でも見えない超微細な存在だ。仮定のものであったが、人工的に増殖させて電子顕微鏡を使ってビジュアル化することが出来た。→ここ そういう意味ではあくまで仮説のままではないのだろうか。それを前提とした上で当面の説は、それは生物と非生物の中間であり、ウイルス単独では増殖することが出来ない。生体内に入り込んで増殖していくものである。またそれは生体が作り出していくという側面もある。生体の一部なのである。それは必ずしも害になるだけではなく有益なものでもある。例えば胎盤の形成に役に立っているのではないかという研究もある。→ここ

 そのウイルスが害になるのは生体内にそもそも存在するホメオスタシス(均衡作用)が崩れた時に起きる。DNAのミスコピーでもあり(→ここ)、また生体が外界から取り込んだものでもある。そうした時に生体はそれを異物として認識し、それを排除しようとし始める。それが咳、喉の痛み、鼻水、発熱、といった風邪の症状として表れるし、はたまた肺炎といった重篤の症状として現れる。つまり生体の炎症作用である。

 というわけでウイルスの作用は生体との相互作用によって起きるものなのである。そしてより生体の要因が大きくウイルスの単独作用としては説明出来ないのである。ここが細菌と大きく違っているところである。もちろん細菌も生体との相互作用によって起きるが細菌の方がその要因が大きい。ともかく変数が2つあるのでとても複雑で簡単な二元論では説明出来ない。

2.現行のウイルス対策は基本パラダイムが違っていると思う。

 ところが西洋医学を中心とした先端医療が出している対策はあくまで細菌モデルであり、そこに現実とのズレが生じている。そのモデルは、隔離、遮断である。いわゆるソーシャル・ディスタンス(社会的距離)といわれている。日本語的には「密」を避けるというわけだ。ロックダウン(外出禁止)、外出自粛ということになる。そうして、手洗い、消毒、マスク、レジでの透明カーテンといった防護用具ということになる。隔離かそうでないかの二者選択なのだ。そうして、次は治療薬による殺ウイルス、ワクチンという防護ということになる。これも二者選択の線上だ。隔離と攻撃によるモデルだ。ともかく世の中これ一辺倒によって進んでいる。何が何でもの大合唱なのだ。これをしないとウイルスが蔓延してしまうの大合唱だ。ともかくこのパラダイム一筋なのだ。

 ところで、ここでちょっと立ち止まって事実を見てみてみよう。実際に人と接触していても罹らない時は罹らないし、罹る時は罹る。また接触しないで自宅でいても罹る時は罹る。実際にこの二項対立モデルでは説明が付かないのである。大合唱を唱える人たちはこれにはまったく目をつむっているところがおかしいのだ。ほんと滑稽なぐらいおかしい。

 そうしてその線上に検査の問題が出てくる。PCR検査だ。ともかく検査をしてウイルスを見つける。見つけたら隔離をする。そうして後は患者の生命力に祈るしかない。治療薬やワクチンが出来るまではとにかくこの隔離を続けるというわけだ。これまたPCR、PCRの大合唱だ。PCR検査をしても隔離しか道がないのにそこには目を向けずにその大合唱である。現場の医師達を中心にこれに反論している人たちがいるが、まるで負荷を避けているかのように決めつけてその声に耳を貸さない。PCR検査そのものの吟味もない。これまたおかしなことだ。結局この応酬を続けて袋小路にはまり込んでしまっているのだ。

3.やはり主体的要因に目を向けることが大事だ

 では、この二元論からどう抜け出すのか。やはり主体の要因に目を向けることが大事になるのだ。そうするしかその道筋はないと思う。2.で述べたようにこの問題はウイルスと生体との2つの要因によって動く。そしてどちらかというと生体の要因が大きい。生体に存在する均衡作用に目を向けていくことが大事なのだ。基本的に普段の生活が出来ている、つまり、均衡作用が働いている時にはなんの問題もない。ただ、やむを得ずそれが崩れる時がある。その均衡作用が崩れるのにはどういう要因があるのか。そこに目を向けその要因を取り除くことに注意を向けることだ。→ここ

 人との接触を避ける、マスクの一辺倒ではダメだ。特に人との関わりは人間の基本的欲求であり、それを強制的に排除することは大きなストレスを生み、均衡作用を崩すことに手を貸すことになる。マスクも用途を限って使うべきで本来呼吸として外に排出するものを逆に吸い込むことになり害になる可能性もある。夏場の暑い時などどうするのだ。そして、大量の使用済みマスクの処理はどうするのだろう?不衛生だ。

 さらに、やむを得ずそのバランスが崩れた時にどうケアーをするか。ここに注意を向けることだ。特に風邪のような症状が出た初期にしっかりと安静をすることが最重要になる。→ここ

 今後開発されるであろう治療薬を否定するものでもないがそれは必ず害作用が生じるのであくまで補助手段として位置づけるべきだ。インフルエンザがよい例である。タミフルは害反応があったし、ワクチンも有効ではない。今回もきっとこの二の轍を踏むことになると思う。

4.真の対策は一人一人の生活を整えるように喚起することだ。

 このように考えていくと隔離、関わりを遮断するという現行の対策はますます意味がないと思える。すべてが逆さまなのだ。自宅待機、夜会は避ける、マスクを感染防止という観点から大合唱している。中には家族や命を守ることなのですといった悲壮なスローガンもある。が実は、すべては逆なのだ。それらすべては一人一人に内在する均衡作用を保持するためのものだ。

 体調が悪い時は疲労が重なった時だ。そういうときは仕事を休んで自宅待機する。自宅では安静にするようにする。横になることは大事だ。夜更かしは絶対に体に悪いから夜遅くまで飲み歩かないで自宅に帰って早く寝る。マスクは冬には喉を暖めるためにする。そのように弱った体力(崩れた均衡作用)を回復させるためのものだ。本来そのためのものなのだ。

 「新しい生活様式」というならばここを喚起すべきなのだ。過労を防ぐ、負荷を減らしてストレスをためないようにする。現代社会はそれを疎外する要因の塊みたいなものだからそれを変えていこう、もっと人間中心の世の中にしていこう。これを喚起することが大事になるのではないか。実際は違う。マスクやテレワークが新しい生活様式なのだ。すべて逆さまなのだ。マスクは不快を助長するし、テレワークがますます仕事中心の生活になってしまう。自宅にまでそれが浸透するのだから。

5.個別ケアーが出来る総合的システム構築が真の対策だ。

 この喚起の上に実際に均衡が崩れた時に個別にケアーが出来るシステムを構築することだ。町医者さん(プライマル・ケアー)、保健所、病院が連携した地域システムを整備し個別に対応出来るようにする。そして、このことを国民に提示し、安心感を与えることだ。もっとも国としてもそれに取り組んでいくことに違いないと思う。自粛要請など全体に規則を決めて国民を縛ることではなく援助が大事なのだ。不条理な規則や同調圧力はもうごめんだ。またシステム構築に手を貸さない野党のピンぼけ批判ももうごめんだ。


6.結局広い意味の風邪だったんじゃないの

 PCR検査の特性から通常の風邪が混じって反応してしまうということがある(→ここ→ここ)。
また新型コロナも広く風邪の一種のようである。あの検査陽性者数が増えた時は今年の気候不順(冬から春がほんとに遅くまで寒かった)で風邪症状の人が増え、多くの人たちが受診したからではないのか。また、逆のその数が減ったのはいよいよ暖かくなって風邪症状を持つ人が少なくなったからではないのか。単純にそう思うのだ。もっともあの人数ではそもそも流行とも言えないが・・。事実はいつも単純なのだ。

 ところで、この風邪だが甘く見てはいけない。これはもともと東洋医学の言葉だ。広く風邪だった。その意味では大事に扱って養生していた。→ここここ

 ところが、最近にいたってこれを「普通の風邪」、「インフルエンザ」と分けるようになった。それを見分ける検査も出来た。このことによってインフルエンザは普通の風邪とは違ってより重篤性の強いものとしてみるようになった。それに対する治療薬も開発され、ワクチンも出来るようになった。ともかくインフルエンザがすっかり市民権を得たわけだ。風邪症状が出たら検査をしてもらってインフルエンザとわかる。重く捉える。実はどちらも「風邪」なのだが・・。また、対処薬が機能を果たしているかについては吟味が必要だが。

 
けれども、このことによって逆に「普通の風邪」を軽く見るようになってしまったのではないか。検査でインフルエンザ陰性だったら安心する。その結果安静もせずに仕事を続けながらそれに対処するようになった。対処薬も出来たから症状も軽くなるし・・。というわけでしっかり直さないまま生活を続ける。風邪を軽く見る。そんな風潮が出来上がったのではないかと思われる。

 今回のコロナもこれと関係しているのではないか。検査の特性上普通の風邪とは区別がつかないから初期の症状を「普通の風邪」だと軽く見て養生(特に安静)を怠る。仕事を続ける。そこから一挙に重症化と進んでいくのではないか。今、改めてそう思うのである。「風邪」は甘く見てはいけない。初期にしっかり養生することが大事だ。

(以下は5月20日に追記したものです)

 このことと関連して書いておきたいことがある。日本の死者数、重症者数と欧米のそれとがそれこそ桁違いに違っていて日本は圧倒的に少ないということである。このことにはほんとに驚くべきことだ。あまりにも違いすぎる。

 いろんな議論がなされている。BCG(特に日本株)接種の有無、遺伝的な体質、衛生観念が行き渡っていること、比較的安定していて健康的な社会状況などが言われている。これはこれとして満更ではないと思いつつ疑問を持っている。それは、

1. その違いがあまりにも多すぎる。かたや万単位、かたや千人以下である。どちらも同じ人類であるし、そんなに大きく違っているとも思えない。BCGは統計的には重なるところがずいぶんあるけれど、それは細菌レベルの話し。ウイルスとは違う。BCGがこんなに違いを生むのかとなるとどうも納得出来ない。

2.欧米の統計の問題。「コロナによる死者数」として出しているけれど死因をコロナに求める根拠がどうもハッキリしない。イギリスでは死因届けと医者の判断がそこに含まれている→ここ。死亡にいたる場合必ず他の疾患とが重なっている。あるいは高齢であったりする。その場合そう簡単にコロナによる死亡と言えるのかどうか。ずっと煩っていて体力が弱り、亡くなった。その時にPCR検査をしてみたらコロナだった。あるいは肺炎を併発したといっても肺炎になるのは本当に体力が弱った時だ。そう単線的にコロナが死因といえるのかどうか。あるいは、基礎疾患がなくてもその時の患者の状態がどうだったか。そのあたりもあまり考慮されているように思えない。結構単純にPCRで陽性だったから死因がコロナだったと片付けられているような気がしてならない。純粋にコロナ感染だけで亡くなったのかどうか。少なくともそのあたりの吟味状況については本当にわからない。ひょっとして集計値が大きすぎるのではないかとすら思えるのだ。どちらも同じ人間なのだから。

 ということで、私はこうではないのかと思っている。

 それは医学的な治療とケアーのあり方ではないのかということだ。日本ではPCR検査を初期患者には行わず重症化した時に限っていた。また検査場所も質を確保するために限っていた。特に初期には安静、外出禁止で自宅療法を中心に行っていた。そのことで逆に多くの人たちがいわゆる軽い風邪症状のまま自然治癒となったのではないか→ここ。これがよかったのではないかと思われる。日本の医師にはこのようなセンスがやはりあるのでないかと思う。

 このあたりが欧米と違ったのではないだろうか。欧米のやり方については情報がないので簡単に言及は出来ないが、コロナを恐れすぎてPCR検査を沢山行い、本来自然に治るはずの陽性反応者を早くから隔離してしまったからではないか。そこが違うのではないかと思う。とはいえ、それにしてもその数が大きすぎるとは思う
。ここで先の統計の問題にも戻るのである。

今後、このことについて検証がなされていく必要があると思う。 

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