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2020年6月28日 (日)

6月月例D-pca研究会in京都-藤田清氏の仏教カウンセリングより 縁起関係-

 先日6月26日(金)は京都でのD-pca研究会だった。4月、5月は例の問題で開催できなかったから3か月ぶりになる。こうやって再開できたことがうれしかった。しかも対面での再開である。もちろん換気等気を配って行った。最初にオープニング・ミーティングを行い、今回のプランを決める。継続している西光義敞『入門 真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会編の輪読を行う。もちろんやりとりをしながら読んでいく。いろんな意見が自由に、自然に出てとても充実した時間だった。読んだところは、(十)仏教カウンセリング、縁起関係、対機説法である。

 この章は藤田清氏の「仏教カウンセリング」について西光先生が紹介されている章である。藤田清氏は「仏教カウンセリング」を先駆的に提唱された方である。氏はこれを「共談仏教」と呼んでおられた。出版にあたって「仏教カウンセリング」という言葉が使われたようである。

 出典:藤田清『仏教カウンセリングの基礎づけのために』佼成カウンセリング研究所 1992

 氏は「共談仏教」と呼ばれたとおり、「仏教即カウンセリング」の立場をとられる。そもそも仏教は実践的性格を持ち、人々を悟りへと導く具体的な実践道である。この時にお釈迦様がとられたように一方的な説法に終始するのではなく求道者とヤリトリをしながら行っていく。対機説法という形をとる。その営みを「共談仏教」と呼ばれた。氏はこれを「否定的啓発法」と呼ばれた。 これがちょうどカウンセリングという言葉に相応するという考え方である。

 物事の実相はそもそも諸法無我である。あるゆるものには永遠不変の実体というものはないのだ。「あらゆるものがそうであって、しばらくの縁によって形をとるけれども、その縁が尽きたらこんなバラバラになってしまうんであって永遠不変の自性(じしょう)とか、実体とか、我というものはないのだと。こういう事実を「無我」といったり、「空」といったりするわけなんです。(西光p.233-234)」。これが「縁起の法」である。「『これあるが故にかれあり、かれあるが故にこれあり』、『これなければかれなく、かれ滅すればこれ滅す』というわけです。(西光p.234)」

 にもかかわらず衆生は「有無」の二見(にけん)にとらわれてどちらかの「見」に偏った見方しか出来ない。そこから苦が始まるのだが衆生にはそれがわからない。それを対機説法によってその偏りに自ずと気づくように働きかけていく。それを「否定的啓発法」と藤田氏は呼ばれた。これを「共談仏教」とか「仏教カウンセリング」と呼ばれたわけである。これがこの章の要点である。

 さて、ここで西光先生が説明されている「縁起」というのをさらに深く知るためにお釈迦様の説かれた縁起の法、つまり十二因縁について改めて見ていった。これはまさに釈尊の悟りの世界から見られた理法である。釈尊はこれを悟られたというわけである。「無明」に縁って「行」があり、「行」に縁って・・・と因縁生起していき、老死に行き着き、そこから「苦」が生まれる。逆に無明を滅するとこれらすべてが滅すると言うわけである。このようにそもそも縁起は単純にすべてが相依っているというだけではなく、私たち衆生に起きる有見の因縁生起、つまり苦の要因を見ていくものである。

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すべては「無明」より生ず、「
無明」に縁って(よって)、「」があり、「行」に縁って「」があり、「」に縁って、「名色」があり、「名色」に縁って「六処」があり、「六処」に縁って「(そく)」があり、「蝕」によって「」があり、「受」によって「」があり、「愛」に縁って「」があり、取に縁って、「」があり、「有」に縁って「」があり、「生」によって「老死」があり、「愁・悲・苦・憂・悩」が生ずるのである。これが、すべての苦しい人間存在の縁りて(よりて)なるところである。

(割愛)

かようにして、「無明」の滅によって「行」の滅があり、「行」の滅によって「識」の滅があり、「識」の滅によって「名色」の滅があり、「名色」の滅によって「六処」の滅があり、「六処」の滅によって「蝕」の滅があり、「蝕」の滅によって「受」の滅があり、「受」の滅によって「愛」の滅があり、「愛」の滅によって「取」の滅があり、「取」の滅によって「有」の滅があり、「有」の滅によって「生」の滅があり、「生」の滅することによって、「老死」が滅し「愁・悲・苦・憂・悩」が滅するのである。

出典:増谷文雄『阿含経典による仏教の根本聖典』大蔵出版株式会社(P.73-74)
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 こうやって注意深く見ていくと理法は極めて明確な法則によって起きていることがよくわかる。ただし、私たち衆生にはこの無明が滅せられた様相、空や無我の様相、つまり縁起についてはそれがどんな様相かわからないのではあるが・・。

 この研究会では実際にいろんなやりとりがなされた。とても自然な形でやりとりがなされたと感じられる。その中から私なりに味わったこと(捉えたこと)を書いてみた。他に「仏教即カウンセリング」についていくつかの考えが出されたことも印象的だった。これについて今後読み進めていくことでさらに検討されていくことであろう。

 この場が仏法を求めるひとつのコミュニティになっていっているな感じさせられた。まさにこれは法座であり、同朋集団であるなと思った次第である。自由で自然な形で自分が表現できる貴重な場である。まさにD-pcaなのである。再開できた喜びを改めて思う。

 次回は、7月24日(金)午後1時から4時。場所は下京いきいき市民活動センター。このページを参照。

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