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2020年6月29日 (月)

聖典講座-仏説観無量寿経 得益分-

 昨日は浄土真宗華光会の聖典講座。連続講座となっている観無量寿経より得益分(とくやくぶん)をいただく。今回もZoomでの聴聞となった。ボタンひとつで京都まで飛んでいける、あるいはこちらまで飛んできていただくという不思議な働きである。思えばこの現代テクノロジーも仏の方便のひとつなのかもしれない。

 今回いただいた得益分は善導様独自のご発揮でそれまでの祖師方が「序分」、「正宗分」、「流通分(るずうぶん)」として観経を三分科されてきたものを五分科され、正宗分から「得益分」として独立分科されたものである。ちなみにさらにこのあと耆闍分(ぎしゃぶん)が最後に独立されている。(本願寺浄土三部経口語訳p.211- 【31】)。

 そのこころは韋提希夫人は、みずからの力による定善・散善の行によって悟り(無生法忍)を開かれたというより、仏力、願力によって無生法忍を開かれたと善導様が見抜かれたからである。よって自力行にあたる正宗分から独科されたのである。

 観無量寿経は顕らかになっているところではまさに浄土に往生するための自力行、つまり観仏行のあり方について王舎城の悲劇を例にして克明に述べられたものである。けれども、その真意は我々衆生にかけられた仏力、願力について述べられているものである。それを最初に見極められたのが善導様であり、その後、法然様、親鸞様と続いていくのである。私たちが浄土に往生出来るのは称名念仏行ひとつであり、さらにここに込められた本願力を信知させていただく、それしかないのである。このお経にはこの意味が込められている。

 仏道の本来の道は聖道門、つまり「教え」を「信」じて「行」をすることによって「証」が得られるというものである。「行」が大きな意味を持つものである。そこを外してはいけない。この大事さについて述べられているのである。けれども、その力もない、仏果に近づこうともしない、凡夫をどうしたら仏にすることができるのか、そのようなことを考え抜かれたのが法蔵菩薩さま(阿弥陀仏さま)なのである。その最勝の願いと思い、南無阿弥陀仏を信知すること。そこに道があることを長い間かかって祖師方が発見されていったのである。親鸞様のご発揮はまさにここにある。

 それが様々な人の縁によって今生に生まれ、今生きているこの私に届いてきた。このことを改めて思わされるのである。これは本当に思議を超えたことである。

 このようなことを改めて信知させていただいた時間であった。南無阿弥陀仏。

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