10月京都D-pca研究会その3-「信」と「疑」-
そうしてその弥陀の本願力を「疑う心」、「疑心」がここで問題になってくる。この点について西光先生は明確に具体的に論究されていく。さらに抜粋を続けさせていただく。
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そうしてその弥陀の本願力を「疑う心」、「疑心」がここで問題になってくる。この点について西光先生は明確に具体的に論究されていく。さらに抜粋を続けさせていただく。
10月16日(金)に行った京都D-pca研究会。今回も西光義敞『入門真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会の輪読を行う。十二章「真宗カウンセリング」。救いの構造。いよいよ最後の大詰めである。しばらく言葉にならずにいた。真宗の要中の要。一大問題だからだ。とても貴重な言葉が続いていくので抜粋させていただこうと思う。
いつもの赤穂御崎にて散歩。寒くもなく、暑くもなく、心地よかった。写真をどうぞ。
昨日16日(金)は京都でのD-pca研究会。継続プランとなっていた西光義敞『入門 真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会編の輪読を行う。今回でこの本を読み終わった。思えば長いプロジェクトだった。基底になっている真宗の要についてきわめて克明に書かれていた本だった。丁寧に言葉を尽くされている先生の姿が浮かぶ感じだった。今はちょっと簡単に言葉に出来ない感じで内容についてはまた日を改めて書きたい。感慨深いものがある。
そして、今回をもって京都での研究会は終わり、今後は相生での活動に絞ることにしている。Zoomも視野に入っているがしばらく検討する時間をとりたい。
今夜は相生法林寺でのワイガヤ・リトリートグループ。今回はリアル。今はウイスキーを少々飲みながらその場面を振り返っています。それぞれ今の思いを出し合い、聞き合えるのはやはりいい。エネルギーが動き出すのがよくわかる。毎回充実したグループになるのがうれしい。いい時間でした。→案内ページ
先日10日(土)はZoomでのワイガヤ・リトリートグループ。縁あって始めることになった。速いものでもう5回目になっていてびっくり。やることはとてもシンプル。日々の思いを心置きなく出し合う。自然な流れで滞りなく出していく。ある意味それだけのこと。でも、このそれだけのことが案外日常では難しい。この場を定期的に重ねて行くと確実に何かが動き出していく。不思議なものだ。Zoomでもそれは起きていく。今後も楽しみである。
たつの市御津町、赤穂御崎にて。私の住んでいる地域。瀬戸内の風景ってほんと美しいと思う。日本の風景だな思う。天気によって海の表情が違うのもおもしろい。写真をどうぞ。
昨日6日(火)は、相生D-pca研究会。西光義敞『暮らしの中のカウンセリング』の輪読を続けていく。仏法とPCAの交流から生み出されるこのアプローチは、それぞれへの理論的、体験的学習が必要である。まずは虚心になってふたつを切り離して学習することが大事になろうかと思う。この研究会ではPCAを中心に理論的な学習を進めてきている。といっても机上の空論ではなく自らを通した学習である。
昨日4日(日)は、ブエノスアイレスのZoomミーティングに参加。なんと日本時間で朝3時からのスタート。現地とはちょうど12時間の時差だ。早起きしたというか、そのまま寝ないでいたというかよくわからない状況が愉快だった。
D-pcaの実践をどのように言葉にして整理しようか。PCAと仏法(真宗)、そもそも根底的に異なるものを扱っている両者が交流しているD-pcaにおいてこれは私の課題であり続けている。あるひとつの感覚が確かにあるのだが言葉にするのは結構むずかしい。
ここで心にとまったのが西光義敞先生の「二重の配慮」あるいは「配慮の二重性」である。「心理的配慮」と「霊性的配慮」である。この二重の配慮がD-pca援助者に存在している。
もちろん以前から目にしていたものであるが、その時は、構造に目を向け「二重関係」ととらえていた。が、実践的な方向へ目を向けてみると「配慮」ということになる。今、ここで改めて私の心に止まった。
まずは、西光義敞『育ち合う人間関係-真宗とカウンセリングの出会いと交流』本願寺出版社 よりそのまま抜き書きする。今後稿を改めて自分の言葉で表現してみたい。
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