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2020年10月29日 (木)

10月京都D-pca研究会その2-「信」と「疑」-

 10月16日(金)に行った京都D-pca研究会。今回も西光義敞『入門真宗カウンセリング』札幌カウンセリング研究会の輪読を行う。十二章「真宗カウンセリング」。救いの構造。いよいよ最後の大詰めである。しばらく言葉にならずにいた。真宗の要中の要。一大問題だからだ。とても貴重な言葉が続いていくので抜粋させていただこうと思う。


 真宗(浄土教)の救いの構造について。下記図を参照しながら先生の話しが進められていく。

 

Shinshucounseling

 

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 「上のX軸は迷いの世界、下のY軸は悟りの世界です。だから、仏教で迷いを転じて悟りを開くというふうに、迷いと悟りという関係で人間を考えていきます。(p.276)」

 「ところが、弥陀の本願ということで明らかにしようという浄土教の教えになりますと、「信」と「疑」という、もう一つ違った要素が加わります。(p.277)」

 「それはなぜなのかと言いましたら、迷いを転じて悟りを開くという方向には絶対にいくことのできない衆生が生まれてくると。それが凡夫ですよね。凡夫でないのは悟りを目指して修行なさる聖者(しょうじゃ)です。(p.277)」

 「悟りの世界へ行くどころか、そういう世界があるということも知らず、ただもう日々の生活いっぱいに追われて生きている煩悩具足の凡夫という人間が現実にいるわけです。だからどんなに悟りの世界、無分別智の世界が深い、尊いと言われてみても、関係がないわけなんです。われわれ凡夫には。(p.277)」

 「しかし、そういう者をこそ、まず先どって、悟りの世界に導きたいという大きな願いと働きがこの仏の世界で動き出している。それの物語というか働きの構造を明らかにしているのが浄土教の仏教なわけです。すでに私が気づかない先から、そういう、その仏の力はすべての衆生に及んでいるわけなんです。生きとし生けるものは大きな仏さまの光りの中に照らされているわけです。(p.277)」
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 まさにその通り。疑う余地もなくそのまま我が身(み)に響いてくる。南無阿弥陀仏。そしてここに「疑」の問題が出てくる。この先は次ページにて。

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