播州清水寺にて-穏やかな一時-
播州清水寺(きよみずでら)にて。ここは兵庫県播州の清水寺です。ここも綺麗な地下水が出たところのようです。
縁起によりますと1800年前にインドからこられた法道仙人によって開かれたと伝えられています。なんと仏教が伝えられたとされている西暦538年よりも300年も前の事になります。→播州清水寺
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播州清水寺(きよみずでら)にて。ここは兵庫県播州の清水寺です。ここも綺麗な地下水が出たところのようです。
縁起によりますと1800年前にインドからこられた法道仙人によって開かれたと伝えられています。なんと仏教が伝えられたとされている西暦538年よりも300年も前の事になります。→播州清水寺
昨晩は月例ワイガヤ・リトリートグループ。今月はD-pcaセンターで行った。毎回熱のこもったヤリトリになる。内面の力がわき上がってくる感じだ。有意義な一時になりました。改めて呼びかけ文を振り返っています。そろそろZoomでのオープングループを開こうかと思ってきています。
昨晩はD-pca研究会。いつものように最初にミーティングをしてこの日の研究会を作っていく。「困っていること」、「プラン」、「分かち合い」の三つの柱からなっている。「困っていること」として日常の葛藤が出された。こうやって気持ちや認識を表出することはとても大事になる。「プラン」は1. 継続となっている西光義敞『暮らしの中のカウンセリング』有斐閣の輪読、2. この輪読が一段落をなるので次回からのプランについて話し合うことが出された。「分かち合い」はなし。早速輪読から始める。
昨日は日曜日。丸一日Zoomの日となった。午前中は息子が帰っていたので半沢直樹のビデオを一緒に見た。これは前座。その後2つのエンカウンターグループが続いた。終わるのは真夜中だった。
昨日はカウンセリング・セッション。私はこんなイメージでいます。たまたまそれぞれ人生という旅路を歩んでいる人がこの場、この瞬間で出会う。それぞれの業(ごう)があり、重荷がある。それを共有する場。とはいえ、一応この場はそれを分かち合おうとすると人と受け止めようとする人の違いはある。そうしてその会合が済んだらまたそれぞれの業を持つ日常生活に戻っていく。そんな場のような気がします。しみじみといろんな思い味わった一時でした。今改めてこの案内の意味を振り返っています。→カウンセリング-こころのときほぐし、自己発見の場-
先日7日(土)はZoomでのワイガヤ・リトリートグループ。内面から動き出す思いがあふれ出て、それはネガティブな気持ちなんだけれど、そこから動き出す何か命の響き。そんなものを思わされたグループでした。
そして、私の中では次のような思いが起きていました。その命の響きを阿弥陀仏は絶えず見守り育て続けて下さり(照育)、それはわが身に染みついたどうしようもない執着だぞと智慧と慈悲の働きで照破して下さっている、そしてその私を摂取して捨てたまわず。つまり、絶えず照護して下さっている。そのようなことをも思わされた一時でした。
「D-pcaの集い」がいよいよ6回目になります。来て下さる人たちがいて始めて継続出来ていきます。毎回充実した集いになっています。ほんとうれしいことです。ますます楽しみになっています。今回もお出会い・出遇いを楽しみにしています。詳しくは次のページをどうぞ。→ホームページ、 →Facebookページ
先日10月31日(土)。午後はカウンセリング、夜はCSP (Center for Studies of the Person)定例ミーティングと続いた。いずれもZoomを使った出会いとなった。とてもいい天気だったので午前中は赤穂御崎を訪れた。やはり赤穂御崎には青い空と海がよく似合う。
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