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2021年3月11日 (木)

3月D-pca研究会-聴くことの喜びと大切さ-

 一昨日は午前中のカウンセリング面接に続いて、夜はD-pca研究会。まずはオープニング・ミーティングを開く。困っていることとして日常生活のことが出された。プランとしては継続している輪読を進めていくことが出た。ロジャーズ著畠瀬直子監訳『人間尊重の心理学』創元社である。この本はC.R.Rogersの最終著書『A Way of Being』の日本語訳である。

 第1章「コミュニケーションの意味」を読み進めていく。「聞く」ということがテーマになるとても感慨深いロジャーズさん自身の表明である。自分が深く聞けた時、聞いてもらった時、それがどんなに人を援助することになるかその体験が述べられている。ロジャーズの言葉を引用してみる。

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「第一に皆さんと分かち合いたいのは、誰かに耳を傾けることが出来た時に感じる喜びであります。」(p.6)

「他者に聞き入る喜びは、もちろん深く聴くということです。語られる言葉、思想、気持、その人にとっての意味、その人の意識下に含まれる意味までをもききとるということです。時には、表面に表れている話しはそれほど重要ではなくて、彼の深いところに埋もれ知られていない叫びに聞き入ることもあります。」(p.7)

「私は、個人の意味に深く耳を傾けるほどそれ(喜び、解放感)が多く生じてくるのを確認してきました。人は自分が真に聞いてもらえたと感じる時、彼の目がうるみます。私は真の意味に於いて、彼は喜びから泣いているのだと考えます。"神様、ありがとうございます。僕に耳を傾けてくれる人がいました。私というものを理解してくれる人がいました。"と言っているかのようなのです。そんな時、私は次のような空想をします。地下牢に閉じ込められたまま『聞こえる人はいませんか?』、『誰かそこにいませんか?』とモールス信号を打ちつづけていて、ある日ついに『はい』というかすかな応答を聞いたという空想です。」(p.9)

「それでは、皆さんと共に分かち合いたい第二の点に移りたいと思います。私は聞いてもらうのが好きだという点であります。」(p.10) 

「私が幸運だったと思うのは、その時期(人生において無力さと絶望に打ちのめされそうになったとき)に、私に耳を傾け混沌とした感情状態から脱け出すのを助けてくれた人に恵まれていた事です。」(p.10)

「人が心理的落ち込み状態にある時に、誰かがその人を判断しようとすることなく、「当人に代わって責任を取ろうとしたりせず、その人を作り直そうとしたりせず、心の底から耳を傾けてもらえたらどんなに助かるかを、私は体験的に証明出来ます。」(p.11)
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 これは私自身としても体験的に学習してきたことである。西光義敞先生に自分の思いや気持ちを聞いてもらい、理解してもらった時の感動、そうして学習を重ねながら人に耳を傾けていけるようになり、その人が変わり、それがまた自分自身を豊かにしていったこと。そんなことを思い出していた。これは現在も進行中である。

 ちなみにロジャーズはこの「きく」ということを"hear"という言葉で表している。"listen to"を使わないところがおもしろいと思った。一般に日本人には"listen to"の方が注意深く聴くということを表すように思われているがこの使い方は逆である。思えば、"hear"の方が響きを聞く、感じを聞く、全体を聞くという意味合いが含まれるように思う。アメリカ人同士で誰かが個人的に重要な意味合いを表明した時、"I heard you." という表現をしているのを何度も目にしている。そこに何か響きや重みを感じるのである。そういえば、経典では「如是我聞」の英訳として"Thus I heard."という言葉が使われている。

 文章は平易でとてもわかりやすく、参加者それぞれが自身の体験として味わった。

 ところで、これは私の個人的な感想であるが、ロジャーズの叙述に私たち日本人との違いを感じたのも確かだ。これを日本語で読む時、とても深遠なこととして受けとってしまう。ちょうど詩や映画の台詞がどこか大仰に聞こえるのとよく似ている。

 ところが、彼の文を英語そのもので読んだ時、自分のアメリカの人たちとの関わりの体験をも含めて、もう少し軽い感じで聞こえてくるのがおもしろかった。そもそもアメリカ人はロゴスというか論理を重んずる。日本人から見て何か固いロゴスの殻を感じるのである。そんな中で少しでも気持ちと気持ちが交流するとそれがとても新鮮でハッとする瞬間になる時がある。涙ぐむ人も多い。とても美しい瞬間だ。けれども、私(日本人)からしたらそこまでのことかなと思うことがしばしばある。日本人のヤリトリではロゴスというより、直観であったり、情緒であったり、そんな感情交流が頻繁になされているようにも思う。

 そんな違いを今回輪読する中で改めて感じた。ずいぶん平易でなめらかな日本語に訳されているのだが・・。これを読んだのはもうかれこれ35年以上も前になる。その時はこんなことは感じなかった。もちろん海外経験がまったくない時だった。その後Play Mountain Placeに滞在したり、Encounter groupに参加したり、PCAフォーラムに参加したり、海外の人たちとの交流を盛んにするようになった。そこで気づいたことや学びが今自分の中にずいぶん息づいているのだなと改めて思った次第である。また、欧米の人たちといってもいろんな国の人たちとの交流も出来た。そんな中でアメリカ人特有の感じ方や関係の取り方なども感じるようになった。アメリカ人=欧米人ではないのである。そんなことも学んできているなと思った。

 そんなこんなで自分の中でいろんなことが起きた時間であった。楽しかった。

次回は、同じく第2火曜日4月13日4月6日午後7時半~9時半。場所は当センター。さらに続きを読んでいきます。→参照  

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