一年の計はお盆にもあり-思いはめぐる-
今はお盆休みの時期。この私も休憩の時間だ。心は廻り、ちょうどよい振り返りになる。久々にホームページのプロフィールページを見てみた。いろんな思い出が蘇る。いくつかの節目があった。
ひとつは学生時代に西光義敞先生に出会ったこと。この出会いは大きく、私の一生を決めた。カウンセリング(パーソンセンタード・アプローチ)と真宗について学んだことは大きい。また探求するとはどういうことか、どういうやり方があるか、そしてその楽しさ。このことについて教わったことも大きい。
次は、先生が主催されていた真宗カウンセリング研究会をベースに当時行われていた様々なカウンセリングワークショップ、エンカウンターグループに通ったことも大きい。ロジャーズだけでもなく、交流分析、ゲシュタルト療法、催眠、瞑想、リラクセーション、それらを統合した「心の旅ワークショップ(六浦基)」に参加して様々なアプローチに触れたことも大きい。同時にロジャーズのパーソンセンタード・アプローチ(PCA)の意味をさらに深く発見していくことになった。
そして、次のエポックはロサンジエルスにあるオルターナティブ・スクール、Play Mountain Placeにインターンとして滞在したこと。自由の教育についてメソッドや哲学について体験的に学んだ。これは当然PCAについて深く学んだことにもなる。また、国際的な視野に目が開かされたことも大きい。
その時真宗聴聞も同時進行で重ねた。これはほんと不思議のご縁であった。その時機が熟しこの身でお念仏に深く出遇ったことは大きな出来事であった。まさに私の三世を貫く大事件だったのだ。以来、イライラしたり腹が立ったり、欲求不満が起きたりというのはまさに私の日常そのものであるが、その中でも帰るべき原点、よりどころにいつも帰らされる、その底をいただいているなといつも思わされる。
その後、龍谷大学で社会福祉学修士を取得した。専攻は臨床ソーシャルワーク・ケアワークだ。黒川昭登先生から心理社会療法を学んだことも大きい。「生理・心理・行動・社会」という4つの側面の統合体として人を見る視点を実践を通して学んだ。
出会いは、さらに続く。国際PCAフォーラムへの参加体験だ。これはAlberto Segreraさんによって始められ連綿と続いている。現在は15回目まで行われ、16回目はコロナで苦闘中だがイタリアで行われることになっている。私は1995年ギリシャでの第6回目のフォーラムが最初で以来毎回参加し続けている。2001年には赤穂での主催に参画している。
この学びはちょっと一言では言えない。PCAの深まり、意義を発見し続け、その中での深い国際交流体験を通して絶えず様々なことを学ばされ続けている。言語、人種、民族、国家、社会体制などを越えた深い人とのつながり。その重みを噛みしめ続けている。なんと人は先入観にとらわれて他の人たちを見ていることか。これは私の大きな宝物になった。これからも学び体験は続いていく。
そして、David Brazierさん達との出会い。イギリスの仏教徒だ。浄土仏教に深く傾倒されている。そこからお念仏とPCAは私の中で生きているな交流しているなと思わされた次第である。それまでその2つの交流は無理ではないか、両者は根本的に違うのではないかという思いが強かったが、その違いを持ちつつ、それらが交流し、何か新しいアプローチが生まれる。何を隠そう私の中でそれが生まれる。そういう心境である。
少々長くなってしまった。特に今はパーソンセンタード・アプローチの意味や意義について原点に戻って改めて意味づける必要を思わされている。
そうして今後も私の歩みは続く。
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