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2021年9月22日 (水)

9月D-pca研究会-「真宗カウンセリングの成立」-

 先週9月14日(火)は「月例D-pca研究会」だった。いつものようにオープニング・ミーティングを行う。「プラン」では西光義敞「『真宗カウンセリング』の成立」の輪読。「わかちあい」ではロシアPCA協会カンファレンスの報告が出された。(詳細はこのページをどうぞ)。ここでは私の中で展開した思いについて書こうと思う。

 

 

 「『真宗カウンセリング』の成立」の輪読は今月から始まる。これは西光義敞先生還暦記念出版である『援助的人間関係』永田文昌堂に執筆されたもの。1988年のことになる。最終著である『育ち合う人間関係』本願寺出版(2005)に再掲載されている。(紹介ページは『援助的人間関係』による)

 

 先生は長きにわたって「真宗カウンセリング研究会」を運営されてきた。真宗者でありながらカウンセリング(特にPCA)を理論的にも体験的にも探求されてきた。両者には表面上似通ったところがあるが簡単に会通は避けよとよくおっしゃっていた。安易に共通点を探すより、まずは虚心に双方を学ぶべきとおっしゃっていた。この研究会はそもそもそれを目的に結成されたものだ。私もここからPCAについて深く学ばせていただいた。先生の本当に虚心に身をかけた学習姿勢は心に焼き付いている。

 

 私は後に海外の人たちと交流することになるがその時に改めて先生のPCAの学習の深さ、確かさを思わされるばかりであった。

 

 よく先生は「真宗」と「カウンセリング」、この「と」のところが大事なんだとおっしゃっていた。双方成り立ちも歴史の違うものがここで出会う。その出会うところが私なんだ。この「と」という言葉はそれを表しているということなのだ。ここのところは今も私の中心になっている。

 

 とはいえ、その両者の深い学びからいよいよそれが交流し、新たなひとつのアプローチが生み出されるのではないか、そういう縁が整ってきたのではないかという先生の思いがこの論文で表明されたのだと思う。

 

 さて、読み始める。まずは、序文である。最初の数行にこころは釘付けになった。何気ない言い回しなのだが沢山のことがここに凝縮されている。

 

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「仏教は、東洋において終始<人間>に関心を向け、<人間とは何か>を実践的に探求してきた。本質において仏教学は人間学であり、人間が真に人間になる道を示した実践の体系である。」(『援助的人間関係』p.29)

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 これは・・・。「仏教学は人間学である。真に人間になる道を示した実践の体系である」。このような観点から仏教をとらえるのは案外少ないのではないか。儀礼(特に葬式)の対象だったり、先祖崇拝だったり、何か宗教的な営みであったり・・・。そのようなことを思うのではないか。特にこれは日本でのことである。

 

 そうではなくて今ここに生き生きと生きて私に向かって大事なことを指し示していただき、私の行く末についてしっかりとした底をいただく。それが本来の仏教、特に真宗ではないかと思うのだ。先生のこの一文にそのメッセージが詰まっていると思った。では仏教ではその人間をどう見ているのか?ここが大事なところだ。一言で言えば六道輪廻の迷いとしての人間、そしてその迷いから出離する道としての仏道であり、人間界に生まれたときにのみこの仏道を歩み仏陀になることが出来るということだ。

 

 そうして次の文が続く

 

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 「カウンセリングもまたもっぱら人間に関心を向け、人間関心を向け、人間に関わる臨床的実践である。それは、西洋を基盤にした、人間理解をめぐる宗教と哲学と科学との、長い豊かな歴史によって育まれてきたものである。」(p.29)

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 この文は比較的連想しやすい。日本に西洋の考え方や生活様式が入ってきてもう1世紀以上の時が経つ。その間にいつのまにか西洋的ものの見方や感覚、生活様式が当たり前になっていてその感覚とこの文は一致する。とはいうもののやはり根本的に違う何かも確かにある。私たちにはわからないものが・・・。

 

 ここでいう宗教はキリスト教だ。person(人間)という言葉はGod(神)と対峙されるものだ。personはGodの被造物なのである。そのGodの意志にさからったことにpersonの原罪がある。特に中世はそのGodが支配する時代であった。ところがその後からperson(人間)に焦点を当てその特性を探究する動きが出てきた。ルネッサンスである。哲学が生まれ、そして近代になって科学が生まれていく。民主主義という社会的な考え方もここから出て来る。この大きな流れからperson(人間)ということが探求されてきたのである。そう、ここでいう<人間>というのはpersonの訳語なのである。

 

 西洋でいう人間というのはこういう文脈でとらえられる必要がある。とはいうもののやはり私日本人にはわかりにくい感覚だ。私は西洋の人たちと接することが多くなったが中でこの大きな違いをいつも痛感させられるのだ。思考、感覚的、文化的にああ違うなと思わされる何かなのだ。

 

 うむ、この短い数文からこのようなことを思わされた。そして、先生の言葉は続く。

 

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 「仏教もカウンセリングも、すぐれて深い人間理解を示し、人間の真のあり方を示唆していることは、疑う余地がないように思われる。したがって両者は、人間疎外が問題とされ、人間の自己回復の道が真剣に求められる現代の精神状況の中で、<人間とは何か>という根本的な問いに、きわめて具体的、実践的なレベルで、直接的にこたえることのできる有力な道を開くものであろう。(略) 私がこう述べてから、早くも二十年の歳月がすぎた。」(p.29-30)

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 さて、ここからいよいよこの論は進んでいく。西洋の人たちによって東洋の「道」が探求されていっているというのである。さて、真宗者はという問いだ。

 

 次回は、10月12日(火)午後7時半~9時半である。場所は当センター。詳細はこのページをどうぞ。

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