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2021年10月 5日 (火)

仏教社会福祉学会第55回学術大会に参加-視野の広がる楽しい時間だった-

 先日週末(10月2日、3日)、日本仏教社会福祉学会大会に参加した。今回は龍谷大学で運営されたがZoomのみの開催である。いろいろ刺激を受けて楽しかった。

 

 私の専門的バックグラウンドは社会福祉学である。現場、教育機関を通じてそれに携わってきた。一方仏教との出遇いは私にとってはまぎれもなく大きなことで、深く両者に関わってきたのであった。ところが、不思議なことにこの学会とは縁がなかった。2つが自分の中でつながらなかったのである。この度友人からの勧めがあって昨年から会員にさせていただき今回が初参加となった。参加してみて古巣に戻るような何か懐かしい感じがしておもしろかった。

 

 テーマは、「仏教における休息=課題と可能性=」である。基調講演は「銭湯のある暮らし」というちょっと意表を突くものであった。

 

 仏教と銭湯、これって関わりがあるの?と最初は思ってしまったが演者の話を聞くうちに両者が深く関わっていることがわかってきた。東大寺には古くからいわゆる公衆浴場があった。他のお寺にもある。また行基菩薩様を初めとして古の高僧方は温泉作りに携わって来られている。仏法に出遇うという深い精神的な作用はもとより、外堀からも心を癒やすしかけが湯を通して仕組まれている。湯治というのはまさにこのことだ。このようなことを話しを聞きながら思わせてもらった。何か心が和む一時であった。

 

 続くシンポジウムは「仏教社会福祉実践における『休息』の意味」である。コメンテーターの次の一言は目から鱗であった。「休息の反対語は何か?働くとか勤めるということかと思うし、それらと対の言葉のように思うけれど、よく考えたら人間は本来休息を求めて生きているのではないか。休息が人生の目的なのではないか」。

 

 思えば本当にそうだ。衆生は無明を因として三世に渡って苦海をさまよい続けているのである。生死の苦海だ。そしてこの人間界に生まれた時にのみ仏法に出遇うことが出来る。この苦海から出離する縁を得るのである。まさに仏教は究極の休息を私たちにもたらせてくれるのである。そうして私たちの根源にはそれを求めて止まない動きが存在している。そう思わされた。

 

 開会式に先立って行われたネパール、カトマンズ本願寺Mamta Lama氏の美しい仏教賛歌は心に沁みた。YouTubeにもアップされている。

 

 2日目は、分科会に分かれて自由研究発表。実践報告あり、フィールドワークあり、思考探求ありと多彩でおもしろかった。それぞれ緩さをもって自由に語られている印象があり楽しかった。私が参加した分科会のテーマは下記の通りである。

「成人した無職の独身の子を持つ高齢世帯へのアウトリーチと向社会性-『無財の七施』からの分析」

「仏教寺院における『休息の場』になる可能性-『サードプレイス』視座からの事例分析-」

「浅草寺福祉会館における『総合相談』の可能性③~相談活動20年による主訴データの内容分析を中心に」

「saranamの解釈と仏教社会福祉的理解」

 

 社会福祉領域から離れてD-pcaとして主に人の心の中に関わってきている私である。両者ともに個人の内面でそれがどう展開するか、動いていくかに関わってきた。もう4年になる。そんな中で今回の報告などを聞くと知らない間に視点が心理に偏ってきていたなと思わされた。介護用具提供を使ったり、情報提供を使ったり、場作りをしたといういわば環境づくりにたずさわってこられている報告を聞き、ああこの面からのアプローチもずいぶん必要だなと思った次第である。枠が緩んだというか、改めて社会福祉的視点の面白さも思った次第である。

 

 逆にいうとその主体側、当人側の主観的真実や動きについての視点が欠けているのではないかとも思った次第である。「個人と環境とその相互作用」という二重の焦点を持つのが社会福祉的視点の根本だ。このことから改めてD-pcaの使命、位置づけを確認させていただいた次第である。次回は私の実践報告としてエントリーさせていただこうかと思っている。

 

 また、仏教寺院の活動にも改めて思いを深めさせてもらった。仏教寺院は仏法を伝える、讃嘆するというのがその究極使命だが、それにまつわりいろんな人間関係、娯楽、モノ、つまり伽藍とセットになって人々を見守ってきているのだと思った。この播磨の地でご縁を結ばせていただいている仲間や寺院もまさにその活動にいそしんでおられる。改めてそう思うのだ。そんな気づきをいただいた。

 

 2日間だったがほんと新鮮で楽しかった。Zoom開催もいいなと思った。

 

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