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2021年10月 8日 (金)

D-pcaの活動は知らないうちに休息をベースにしていると気づいた

 仏教福祉学会大会に出席してD-pcaの意義について別の角度から意味を再確認したように思う。

 

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 「仏教における休息=課題と可能性=」がテーマであった。休息という概念が印象的だった。思えば知らないうちにD-pcaの活動の根幹に休息を位置づけていると思った。

 

 D-pcaセンター活動には、カウンセリング、ワイガヤ・リトリート、D-pcaの集いとあるがどれもこれも休息がその基盤である。特にワイガヤ・リトリートグループはそうだ。実践を始めた頃はリトリートを付けていなかった。でも、それを進めて行く内にこのグループは、悩みやしんどさを持ち寄るパーティーだと思うようになった。もっきた悩みやしんどさを並べる。みんなと一緒に並べる。そうやって眺めているとなんだかホッとしてそれと距離が出来て行く。そんな場なのでリトリート(まさに退避とか休息)を付けたわけだ。

 

 とはいえ、それは単に休むという意味だけでもない。日常生活を一旦止めて休み、力を取り戻し、自己探求し、考えや思いを整理し、そこに意味を見つけてまた新しい生活に戻っていく。そういう場でもある。休息というのは特に禅宗では息を休める、つまり整えるという意味があると聞く。まさにワイガヤ・リトリートはそんな場だなと思った。まさにそういう「場」を提供しているのである。

 

 きっとそこには仏法が基底にあるからだと思う。どこか法にわが身を委ねているのである。こういう心身のあり方がやはりD-pcaなのだ。また、必ずしも仏法について語るとか説くということでもない。そうでなくてもこういう姿勢でいるということがとても大事なことなのだ。きっとPCAだけの援助者とはそこに違ったものが醸し出されていると思うのだ。

 

 ふだん夢中になって実践を続きていて無意識になっているけれどそういう心持ちがあるなと改めて思った次第である。

 

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