2021年10月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
無料ブログはココログ

« 宿場まち佐用町平福にて | トップページ

2021年10月13日 (水)

10月D-pca研究会-「新しい援助的人間関係の実践体系」-

 昨晩は月例D-pca研究会。まずはオープニング・ミーティング。「困っていること」、「分かち合い」では日常生活のことが出される。「プラン」は続けている西光義敞「真宗カウンセリングの成立」の輪読である。

Dsc_0442_20211013140301

 

 早速読み始めて行く。今は(一)を読んでいっている。要旨を紹介していく。

 

*****************(引用開始)

「仏教とカウンセリングの出会い」の時が到来したことを感じて、私がこう述べてから、早くも二十年の歳月が過ぎた。この二十年間に、ヒンズー教、仏教、道教など東洋の諸宗教、諸哲学-それらを一括してかりに「道」と呼ぼう-と、西洋の心理学、心理療法あるいはカウンセリングとの出会いは急速に進み、交流と統合化の努力も着実につみ重ねられてきている。(『援助的人間関係』p.30 1988年)

****************(引用終了)

 

 このようにして両者の交流と統合が進んできたのだが、それは西洋の人たちによってである。この進み具合は私自身も本当に驚いている。PCAを通した西洋の人たちとの交流からこのことをまざまざと体験させられるのだ。本当に詳しく本質的に仏教を知っておられるのである。日本の心理学・心理療法領域の人たちの仏教理解より遙かに深いのではないか。西光先生はこのことを早くも感じておられた。

 

 そしてさらなる問題は「禅」の領域では鈴木大拙氏の努力によって積極的に西洋に紹介されてきたし(実際にダイセツ・スズキを知っておられる人は多い)、南方仏教、チベット仏教も実際に西洋の人たちが体験され着々と紹介されてきている。ところが浄土教・浄土真宗となるとまったくといってよいほどそのかけはしを日本の方から見つける努力はないといってよいとおっしゃられている。(もっとも近年浄土教仏教への関心が西洋からたかまってきていると私は思っている。)

 

 こうなると両者に深く関心を持ってこられた西光先生としても「いささかの責任を感じるので」本論文の執筆を決心されたわけである。

 

 そしていよいよ(二)に入る。

 

***************(引用開始)

仏教、とくに真宗と、カウンセリングや心理療法との実践的な出会いから、ひとつの新しい「人間援助の道」、もしくは「援助的人間関係の実践体系」といったものが創造できないであろうか。それをかりに「真宗カウンセリング」と名づけて、その成立の可能性を探ってみることにする。(p.31)

***************(引用終了)

 

 ここでまず先駆者の紹介をされる。それは藤田清氏の「仏教カウンセリング」である。氏は1964年に『仏教カウンセリング』誠信書房を公刊されている。これはまさに先駆的な試みであり西光先生はその勇気に対して敬意を表されている。藤田清氏は「仏教がカウンセリングである」。「仏教は本来カウンセリング体系である」という立場である。また、山口益(すすむ)氏の仏教学も紹介されている。しかし、双方とも「その後の成果についてはまとまった報告をされていない(p.32)」。

 

 そうして、「真宗カウンセリング」について言えば、先生設立の「真宗カウンセリング研究会」である。この活動は1961年に設立され今もその活動が続いている。当初の設立趣旨は「真宗者の行うカウンセリング研究の会」であった。真宗者が虚心にロジャーズ理論を学ぼうという会である。この趣旨の如く西光先生は実に虚心に身をかけてカウンセリングを学ばれていたのは強く心に残っている。まさに理論的・体験的両側面から丁寧に学習されていたのである。私もその中からとても重要なことを学ばせていただいた。

 

 とはいうものの「世間には、『真宗カウンセリングを研究する会』と理解されやすかったし」、メンバー内部でもそのような機運がたかまっていったとおっしゃっている。ただ、それらが「整理され、集約され、十分な理論的検討を経て、万人の理論的、実践的検証をゆるす形にまで結晶させえないままできているのである」と述べられている。

 

 さて、ここからいよいよ真宗とカウンセリングの出会いについての論述が始まっていく。まずそれには三つの立場が可能だとされる。まず第1は「真宗カウンセリング」との関係を問う立場である。この「」のところが大事なのだ。それには客観的考察と主体的考察の二つに分けられる。特に後者は、双方に多少とも体験的理解をもっているか、主体的に関心を持っているものが自己の内面においてその両者がどう関わっているかを問う立場である。(p.33)

 

 読むことはひとまずここで終わった。読みながらその時その時に起こってくる思いをそれぞれ共有しあうことになった。まさに自由に。参加者は体験的な学習が進んでいるのでその体験的理解とを照合させながら読んでいくことになる。

 

*「仏教即カウンセリング」といった場合、本当にそうなのか。特に具体的なわが身の問題を問うていくとなるとそれらはひとつではなく両者が会い助け合いながら援助されていく。

 

*両者はやはり本来違うものである。それがわが身のところでは交流しているのでその関係は?そもそも違うものなのか、関係しあうのか、しあうとすればどう関係するのか。パラレルなのか真宗が基盤で垂直の関係になるのか。はたまた?

 

それぞれの思いが共有された。私の中でも自分の考えを整理するとても有意義な時間になった。思いを心置きなく共有し合える自由な関係とやりとりが楽しかった。次回も楽しみである。

 

 次回は、11月16日(火)午後7時半~9時半である。都合により第3火曜日と変則的になっている。詳しくはこのページをどうぞ。

« 宿場まち佐用町平福にて | トップページ

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 宿場まち佐用町平福にて | トップページ