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2021年12月22日 (水)

「真宗安心とは」をあらためて思う-宍粟市西光寺報恩講にて-

 先日14日は宍粟市御名西光寺報恩講にお参り。講師は浄土真宗華光会代表増井信師。師の法話を聞きながら改めて真宗安心、廻心とは、信心決定、信心獲得(ぎゃくとく)、信楽受持(しんぎょうじゅじ)といった要の問題に思いをいたした。

 

 以下はあくまで師の法話から触発されて起きてきた私の味わいである。

 

 真宗にも禅のような見性の瞬間がある。廻心だ。これを境に仏法の味わいがまったく変わる。離れていた私と仏法がこの瞬間に一体となり、今まで見えてこなかったものが見えてくる。法の眼をいただくということだ。もちろん私に見えてくるものはそれのほんの一部にすぎないけれど・・・。仏法を聞く耳を持たせていただくということだ。親鸞聖人の書かれたものも一分の隙もなくわが身に徹到する。

 

 これは真宗における大問題だが、さてさてそう広がっているものでもない。とはいえ、ここに出遇ってしまったものにはごまかしようのない真実だ。ここが大変なことだなと改めて思った次第。なんかうまく言えないけれど・・。

 

「弥陀仏本願念仏 邪見驕慢悪衆生 信楽受持甚以難 難中之難無過斯」(正信偈より)

 

 信楽を受持するということは、眼の曇った私達にとって難の中の難これに過ぎたる難は無いのだ。

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