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昨晩はワイガヤ・リトリートグループ。今回も熱気溢れる集いとなった。
日々の思いを共有しあいながらも本能・衝動・欲求、感情の表出に3つのチャンネルがあることを振り返った。それは言語化・行動化・身体化の3つである。そしてこれらは家族関係、特に親子関係、さらに母子関係のあり方と関係している。それらが1. 民主・許容的関係、2. 敵対・攻撃関係、3. 感情抑圧的関係によって特徴付けられる。それぞれ、1は言語化、2は行動化、3は身体化につながっていく。一人の人間が生育していく中で親子関係のあり方によって次第にその人の傾向が出来ていくのである。
参加者の体験とが照合されて大きな学びの場にもなったように思う。いつもこうやって貴重な場をいただく。私もよき振り返りになった。
次回は6月16日(木)午後7時半~9時半。場所は相生法林寺。詳しくはこのページをどうぞ。
先週13日(金)、14日(土)は法林寺(相生市)別修永代経法座にお参りした。正信偈をいただいた後御法話を戴く。講師は宍粟市 明源寺 杉山義伸師。御讃題は親鸞聖人御和讃。一日目と二日目の二座お参りしたので二首戴いた。私なりのお味わいを書かせていただく。
昨晩は5月D-pca研究会。いつものようにオープニング・ミーティングから。「困っていること」、「分かち合い」では日常生活のことが出された(詳細は割愛)。「プラン」は、「D-pca探求について思っている事を語りたい」、「今後の輪読について話し合う」が出された。
カウンセリング。D-pcaカウンセリングと呼びたい。長い長いプロセスではあるがほんと少しずつ本当の自分を取り戻していく。べきから離れて今ここに流れているありのままの感情や身体感覚に開かれていく。さらに自分を取り巻いている状況と自分のあり方との振り返りが行われていく。そのようなプロセスを見せてもらったような気がする。
また、様々な葛藤や衝突を通して自己執着の自分を見せてもらっていく。人は人どうし反目し合い、生き物は殺し合っていく。それへの気づき。まさに私がそうなのだ。そんなプロセスも見せていただいたように思う。まるでクライエントを通して仏説を聞いているかのようであった。それは絶えず生きて働いている。私にもクライエントにも。心の中で静かにお念仏させていただいた。南無阿弥陀仏。
京都ではなく播州清水寺に参拝。寺の縁起によるとここの御開山法道仙人は1800年前にインドから来られたとのこと。なんと日本史で仏教伝来となっている538年より300年以上も前の伝来となる。仏教伝来といってもこれは公伝ということでそれまでにさまざまなところで伝わっていたということも充分に考えられる。むしろこう考える方が自然である。播磨は出雲地方ともつながっていたから様々なルートで渡来されたことと思う。何かロマンがあって面白い。思えばこの播磨は仏縁の深いところである。
ちょうどシャクナゲの季節。今回はちょっと時期が遅かったのが残念だったがその美しさに触れることは出来た。どの寺もそうだが静寂が気持ちよかった。写真をどうぞ。
ゴールデンウィークが終わろうとしている。快晴の日が続いた。久しぶりに息子が帰ってきて家族3人が揃い、鍋を囲んだり、話したり、ドライブをしたり、DVDを一緒に見たりとゆったりとした日が続いた。普段はいよいよ老夫婦だけのヤリトリとなってきていただけに新鮮で楽しい。牛窓までドライブをしてきた。海の青さが美しかった。写真をどうぞ。
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