京都・琵琶湖一泊旅行-日本的霊性に思いをいたす旅だった-
まずは西本願寺前ロイヤルホストで昼食。その後京都国立博物館へ。ちょうど「最澄と天台宗のすべて」という特別展示が行われていた。新館での展示となる。旧館に入ることが出来なかったのは残念。当時のお経など原本が展示されていた。ともかく魂を込めて書写されている。ひとつひとつの文字に命が吹き込まれている感じだった。しばし感動して見入った。密教系の経典や法具が多いのも興味深かった。まさに天台宗は日本大乗仏教の総合体系だ。
その後、円山公園へ。法然上人が説法された吉水草庵を久しぶりに訪れてみたくなった。ロシアの友人ベニアと共に行ったのが最後だった。場所は簡単。ともかく人気の少ない方に坂を登っていくのだ。安養寺というお寺になっている。まさに当時は人里離れたところで説法されていたのであろう。きっと熱の籠もった説法であったことと想像する。そこから親鸞聖人を通していよいよ仏教(お念仏)が民衆に広まっていったのである。いわば日本仏教の真の意味での発祥地である。しばししずかにお念仏させていただいた。京都の町並みが見下ろせる場所である。
そして、比叡山の方に車を走らせる。東大路通を使って京大を通り過ぎて少し行った所を右に曲がる。これも懐かしい。京都老人ホームに勤めていて半日勤務になっている宿直明けにここを曲がって山に登ったものだ。頂上は涼しくてよく昼寝をした。琵琶湖を見渡せるスポットを通って延暦寺へ。博物館、吉水ととてもよく歩いたのでちょっと疲れて今回は中には入らなかった。根本中堂が改修中ということもあった。とはいえ山のシーンと静まりかえった雰囲気を味わった。スピリチュアルである。
そして奥比叡ドライブウェイを通る。高僧方が修行をされた跡を通っていく。こうやって魂の救い。悟りを求められていたのだ。その高い精神性に思いをいたす。[写真は伝教大師(最澄)像]
そうこうしている内に仰木に到着。そこは雄琴温泉。今は「おごと温泉」と改称されている。もともとここは伝教大師(最澄)が作られた温泉。そう日本の温泉地には必ず高僧方が関わっておられた。例えば有馬温泉は行基菩薩。道後温泉は一遍上人など。温泉での湯治は仏教と一体なのだ。身心の湯治なのだ。残念ながら雄琴温泉といえば近くに風俗産業が出来てそのイメージが出来上がっていた。地元の人達の努力でそれが解消されて行っている。琵琶湖グランドホテル。琵琶湖フロントの立派なホテルだった。湯はすっきりしていて心地よい。(写真は部屋から見た風景)
そこで一泊。次の日は琵琶湖巡り。本来は一周したかったが時間的にちょっとしんどいので北は和迩浜までにして琵琶湖大橋で南へ向かった。和迩浜は水泳場で有名。ほんと美しかった。ここで発見したのは小野という町だ。そうだった。ここは小野妹子の誕生の地だったのだ。今までなんどかまわっていてこの地名も知っていたが今頃になってやっとつながった。和迩という渡来系の名前ときっと関連しているのだろう。
琵琶湖大橋を渡って東岸沿いを走る。ここがまた本当に美しい。道も適度にカーブがあって心地よい。児童養護施設守山学園で研修をしていたとき何度も何度もここを通った。懐かしいところである。瀬田に行き唐橋を渡って石山寺に参拝した。ここも何度もこの前を通っているけれど境内参拝は初めてである。恥ずかしながら大坂の石山本願寺とこんがらかっていて真宗のお寺だと思っていたがとんでもない思い違い。ここは真言宗のお寺だった。弘法大師が奉られている。名前の通り岩石の上にある寺だ。
この後三井寺にも参る予定だったが堪能した感じがしたので一服して帰ることにした。場所は浜大津港。ミシガンクルーズの船が出発するところでその風景を楽しんだ。ニューオーリンズの雰囲気が漂うのが可笑しかった。うん十年も前に彼の地を訪れたことを思い出した。
かくて旅行は終了。帰途についた。
改めて日本の精神性にふれた充実した旅だった。そう鈴木大拙師は法然上人・親鸞聖人の浄土教をもって「日本的霊性」と呼んでおられる。この日本も高い精神性を求めた歴史が連綿と刻まれている。おかげで今の私がある。
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