相生法林寺での輪読会ー新鮮でしたー
一昨日14日(火)は、相生法林寺主催の輪読会に参加。テキストは西光義秀師『私のものさし、仏のこころ』。今回は最初の「末法から滅法の時代に」をいただいた。
地域寺院の檀家の方達との聞法座談の場に出席するのははじめてといってもよいかも知れない。普段は意識して求道されている人達との座談が多いだけにどのようになるのかちょっと心配もあった。ある意味希有なマニアックな集団なのである。でも逆にそうではない方達がどう思っておられるのかを聞かせていただくいいチャンスになるなとも思う。私にとってはチャレンジのような気がする。
聞くだけになっているお寺での聴聞では流したままになっているひっかかるところを聞かせてもらったのが有り難い。「人間のはからいをこえた、ただ阿弥陀如来の願いのなかに生きるという教えです(p.10)」。ここがぴんとこないとの表白は改めて新鮮であった。そうなのだまさにここが要中の要なのだ。まさに私もここが厄介であった。
また、最初の「仏法は、お釈迦様が説かれた教え(教)を、正しく行う(行)ことによって、さとりに至りつく(証)のです(p.9)」。これはまさに仏道の要であるがここの受け取りはどうなるのか。改めてここに思いをいたらせてもらった次第である。ひょっとしてこのことは現代ではほんとに疎かになっていてひっかかりもしないのかもしれない。
新鮮な場でした。私自身仏教との出遇いが大きなことであったことも表明しつつ、自然におれたことがよかったと思う。今後ヤリトリをしながら読み進めてくのが楽しみである。
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