7月相生法林寺での輪読会-改めて私の聴聞をなぞらせていただいた-
先日7月14日は法林寺での輪読会だった。先月から始まり2回目になる。西光義秀師『私のものさし仏のこころ』探求社を読んでいる。
拝読したところは「仏教の基礎、初級からさとりまで」。真宗では信心を得るということは初級、中級、上級という手順を踏まなければならないというようなことはありません(西光師p.12)」。阿弥陀様のおこころ、常に働き続けて下さっているはたらきを聞くということになる。それでは基礎はないのか?基礎って何なんだろうか。ここが難しいところだ。ないわけでもなさそう。でもそれは基礎でもあり中級でもあり、上級でもある。「これ以下のこともこれ以上のこともありません(西光師)p.12」ということになる。
それは、「今私が生きていること。そして生き物のいのちをいただいて生きていること。私だけは・・・と強く私自身に執着して生きているということ、罪悪深重・煩悩熾盛であること。・・・等々、そんなありのままの自分自身を知らせてもらうことではないでしょうか。そんな私に阿弥陀さまがいつも寄り添って、ほんとうにこの世に生まれてきたことの意味を知ってほしい。そして阿弥陀さまが私にかけて下さっている願い(本願)に気づき、そのまま受けとってほしいと阿弥陀さま自らが働いてくださっているということです。(西光師P.12)」
まさに!!
ところでこのことについてまったく知らなかった私でもあった。先生との出会い、同行との出会い、法座を通してひとつひとつ教えていただき、聞く耳をもたせていただいてきたプロセスもあるなと改めて思った。まさにお育てである。ステップを通していくということではないが折々にふれて聞かせていただき知っていったという面も確かにあるなとも思った。ここが阿弥陀さまのおはたらきでもある。でも、最後は一線を飛び越えなくてはならない。そのことも改めて思う。もちろんこれも全部阿弥陀さまの大きな大きなおはたらきであるのだ。まさに本願他力である。
そんなこんなで。ひとりならスーッと読んでしまうところをこうして集まって声にだして読んだり話したり、聞いたりしてこころに止まっていく。そのような場だった。私の仏法との出遇いを改めてなぞらせていただいた。それはこれからも続く。南無阿弥陀仏。
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