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2022年7月11日 (月)

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界-仏法に照らされて内を見ることが必要だ-

 やりきれないことばかりが起きる。身土不二といって仏教は衆生自身とそれを取り巻く世界の両方を扱っている。阿弥陀様はまさに殊勝の仏陀、その阿弥陀様の作られる世界は浄土。一方、衆生(もちろん私)は無明の闇で煩悩具足そのもの。その私達の作る世界はまさに穢土(えど)そのものだ。どこまで行っても穢土なのだ。


 歳を重ねてますますますますそのことを痛感していく今日この頃である。思うに身業(行動)ではたまたま縁があって殺人まではいたっていないけれど、口業(言葉にすること)、意業(思うこと)を観たら、貪り、怒りそのものの私ではないか。業縁もよおさば何をしでかすかわからない。それでも平気で毎日を過ごしている。まさに愚か(愚痴)そのものだ。それは仏の智慧に出遇ってはじめて知らされることであるなと痛感する。西洋文明にどっぷり浸かっている現代社会にはこの内省が大きく欠けている。

 

 

「善悪のふたつ、総じてもって存知せざるなり。そのゆゑは、如来の御こころに善とおぼしめすほどにしりとはしたらばこそ、善しをしりたるもあらめ、如来の悪しとおぼしめすほどにしりとほしたらばこそ、悪しきをしりたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもってそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」(歎異抄後序より)(本願寺聖典p.853-854)

 

 「人みな心あり。心おのおの執(と)ることあり。かれ是(よ)んずればすなわち吾は非(あ)しんず。われ是(よ)みすればすなわちかれは非(あ)しんず。かならず聖なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず。ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ。是く非しきの理(ことわり)、たれかよく定むべき。あひともに賢く愚かなること、鐶(みみがね)の端なきがごとし。」(聖徳太子憲法十七条第十条より)(本願寺聖典p.1436)

 

 私(私達)はついつい他人のことについてどうのこうの言及したくなる。相手が悪いことをすれば追求したくなる。私を善と思いこむからだ。事実はそうではない。心の内に目を向けることが必要だ。「ともに凡夫のみ」これを深く信知することが改めて重要だと思う。つまりこれは同時に仏法(お念仏)に照らされることである。

 

追伸:こうやって歎異抄と憲法十七条を読んでいくと親鸞聖人と聖徳太子がまさにぴったりと一致することがよくわかる。改めて思った。このことについては次回にでも書こうと思う。

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