8月相生法林寺での輪読会-法語に心がゆさぶられるだろうか?-
頂いたところは「揺さぶられる心」(p.14-16)である。法語に接するとき私達のこころは揺さぶられるだろうか?特に「生老病死」の四苦と聞くとどうだろう。こんなことが問いかけられた場であったと思う。大抵は揺さぶられることもなくスッと通り過ぎてしまうのではないか。仏法に遇わせていただく前のこの私もそうだった。けれども、身近な人の老病に接したときにはああそうなのだとは思わせてもらう。けれどもそれはあくまで他人事だ。自分の事としてはなかなか響いてこない。また「後生の一大事」という言葉もそうだ。遠い死んでからのことと聞いてしまい、もうひとつそれがなんだと思ってしまう。そんなことが忌憚なく話された。
思えば修行の上到達されたお釈迦様の悟りの世界から出てきた言葉(それはそのまま仏法だが)は日常生活に明け暮れている自分とはあまりにもかけ離れている。世界が違いすぎるのだ。改めてそれを思わさせていただいた。けれどもそれを通してこの私が仏法に出遇っていく。善知識さまの言葉やお同行さんたちの言葉を通して・・・。ここがまたほんと思議を超えたところなのだと思う。なんかうまく言葉に出来ない。が、確かな手応えでもある。
少人数で日頃の聴聞上でひっかかるところやモヤッとしたところをそのままの言葉で出し合える。とはいえ世間話に終わるのではなく法義話そのものの場でもあった。とても貴重な場をいただいていると思う。なもあみだぶつ。
次回は9月14日(水)1時半から3時半。楽しみになってきた。
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