10月相生法林寺輪読会-世間虚仮、唯仏是真-
先日10月14日(金)は10月の相生法林寺輪読会。西光義秀師『私のものさし仏のこころ』探求社を読み進めている。読んだところは「私は教えと真逆に生きている」(p.18-20)。それぞれの思いを語りながら読んでいく。
それにしても難解な言葉が続いていく、
「輪廻転生(しょう)」
「時代や社会に対応する教えであるということを望む前に、自分自身のことを気づかわねばなりません」
「虚仮なる世間」
そしてタイトルの
「私は教えに真逆に生きている」
どれもこれも厄介な言葉ばかりである。輪廻転生といっても前生や後生があるとも思えない。時代や社会、特に現代社会から見れば仏教の教えは対応していないように見える。特に「後生」となってくると。「虚仮なる世間」もそうだ。有名な聖徳太子の言葉だが対になっている後の言葉がある。「唯仏是真」だ。ただ仏のみが真実だというのだ。でも、これも私達には逆に思える。私が生きているこの時代、社会はしっかり目に見えるもので、仏の教えは目には見えないので厄介だ。
とまあこんな具合だ。仏陀から見れば私達の目は顚倒している(ひっくりかえっている)のだが私達には仏教が逆さまのように思える。核心を突いているが故に智慧のない私達には困った言葉になるのである。あまりにもその世界が違いすぎるのだ。ここのところじっくりじっくり教えにあって育ててもらってはじめて視野に入ってくるのだと思う。でも、その御縁ってどんなものなんだろう。何があってそのように育てられていくのだろう?
そんなことを思った一時だった。輪になって話し合えるのがよい。ついつい話しすぎているのではないかと気になったりしてくる。この葛藤がまた大事なのかも知れない。次回は11月14日(金)1時半から。
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